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皆さんは「ミルフィオリ」って聞いたことがありますか?私は初めて聞きました。 そこで早速インターネットで調べてみたところ (最近はウィキペディアという便利なページがあります)、 ミルフィオリ(イタリア語: Millefiori)はガラスの一種。 金太郎飴のように模様が入っているガラス棒、およびそれを使用して作った製品のこと。イタリア語のMillefiori は直訳すると「千の花」になる。 とありました。ガラスの金太郎飴???乞うご期待! また、3月はお別れ会も行います。卒団する先輩や、都合でこの3月で退団する団員とのお別れ会です。全員、元気な顔を見せてください。 また、保護者会も開きます。保護者の方も是非参加してください。お待ちしています。
1月活動 星の観察
1月8日(土)、教育文化センターと大清水スポーツ広場で行いました。 寒いことを覚悟していたのですが思ったほどは寒くなく、きれいな月の位置を記録しました。 いそぎん特製のお汁粉もおいしかったですね。
寒い冬に思う
運営委員 鈴 木 照 治
1月30日まででしたが日大博物館(六会日大前駅3分、無料)でナウマンゾウ特別展をやっていたので、見に行きました。 1階の常設展にアフリカゾウの骨格がありますが、特別展のある3階に行くと、ナウマンゾウのシルエットがあり、 動物園で見られるインドゾウよりひとまわり大きいアフリカゾウぐらいの大きさであることがわかります。 こんなに大きなゾウが藤沢に生きていたのか、という驚きが一層の興味を呼びます。展示のメインは、発掘された状態の復元です。 かなり多くの骨片が散らばった状態で地層に埋まっていた様子がうかがえました。 発見当時の地名は藤沢市渡内天岳院下(今は渡内1丁目、大きなスーパーの駐車場の裏手に当たる住宅街)で、 藤ヶ岡中学校の理科部で化石を探しに歩いたところです。 今の住宅地は、以前は山で、山すそを天岳院の山門に向かってほぼまっすぐにゆるい坂道が降りていて、山側には2mくらいのがけがありました。 砂と泥の固まったやわらかい岩で、近くでよく見かける貝殻はそこにはありません。 ただ、木の枝のようなものががけの上に近いところに突き出ていたような記憶があります。 理科室には生徒や先生の掘ったたくさんの貝化石がありました。数年後、ゾウの化石が出たと聞いて、その場所に行って見ました。 すでに宅地造成が進んでいて、その現場も工事中でした。あとで聞いた話では、期限が迫っていて、まわりはすでに造成されていたそうです。 もう少し範囲を広げて調べれば、牙をはじめ、残りの骨が見つかったかもしれません。 とはいえ、こんなにたくさんの骨が見つかったこと自体が奇跡的でした。 あのあたりの地層は、15−20万年前といわれていましたが、その後の詳細な調査で、12万5千年前となっています。 むかし、おぼえた新しい知識は、どんどん塗りかえられていきます。 一方、新しくわかってきたことも、次から次へとおぼえきれないほど知らされます。 何年か前、科学少年団の活動で、新しく発見された逗子の桜山古墳に行きましたが、山の高いところにある古墳というのは、 従来の常識を打ち破るものでした。この新事実がヒントになって厚木市の高松山(従来からのハイキングコース)の頂上が、 まさにその古墳であることがわかり、先日、発見者の案内で登ってきました。 年をとっても、新発見にまつわる事実や物語を見聞きするたびに心が躍ります。 団員の諸君にとっては、毎月の活動そのものが、新発見の場であると思います。心を躍らせて活動を重ねてください。
相模国・鳶尾山から武蔵国・浅草
運営委員 道 上 定
蓬莱に聞かばや伊勢の初便り(芭蕉)
蓬莱は「蓬莱飾り」で、三方の上にお米を中心に、柿・栗・みかん・えび・昆布などを盛りつけ、そしてユズリハ・ウラジロ等を添えて新年をことほぐ飾り。 新年になってはじめて受け取ったとか、出した便りが「初便り」。 (新年の飾りを前にして、なつかしい伊勢からの便りを聞きたいなあ)と言ったほどの、どうということもない(と思う)句。 1694(元禄7)年、松尾芭蕉51歳の時のもの。『炭俵』句集の1句ですが、俳詣の先生ともなりますと、新年の句を旧年中に詠んで句集にするのです。 その句を「歳旦句」と言います。作者本人が申しております。この時代の50代は立派な年寄りですからね。 おまけに数え年です。さらに加えて今とちがって旧暦では立春近くが旧の元日。なにやら年末に出す年賀状に似ていませんか。わくわくするような、それでいて…。 この句碑が八菅神社境内に建っています。なぜここに? 分かりませんが、蓬莱飾りの「ユズリハ」や「ウラジロ」はこの八菅山が北限という説もあるし、芭蕉も句を作る前に箱根を訪ねてはいるのですが、 これは私の知っていることを書いただけ。 今年も鳶尾山から八菅山を歩き、甘酒二杯で温もってきました。 去年11月に、日本の近代測量の発祥の地点となった、座間と相模原間の三角点5・2キロメートルを結ぶ「相模野基線」が、土木遺産として土木学会から認定されたとの報道がありました。 何年か前に「近代測量発祥の山・鳶尾山」を紹介しましたが、南端の三角点を座間村に、北端の三角点を下溝村に設置。 その間の直綜距離をていねいに何度も実測し、相模野基線を確定したのです。 1882(明治15)年の事でした。そして、翌年4月から『三角測量』が始まり、その2点を左右に見る小高い山にもう一つ三角点を、これが「鳶尾山」。 相模野基線をまたいで向こうに設けたのが、「長津田村」の三角点。それから、大磯の「浅間山」、基線を挟んで向こうに「連光寺村」。 つぎに、浅間山と連光寺村を見通せる丹沢山と千葉・鹿野山。 このように「相模野基線」をもとにして基線を拡大し、より大きな三角網の基準となる「丹沢山」と「鹿野山」との距離を算出したのです。 1等三角網は1辺が平均40キロメートルになるように設計・計画したようです。全国をこのような方法で測量し、拡大して行ったのです。 1925(大正14)年には全国50000分の1の地形図として完成しました。 さて、鳶尾山から「東京スカイ・ツリー」がどう見えるかな?、の期待をして出かけたのですが、無念(と言うには、なにしろ出かける時刻がおそすぎた!)かすんで遠くは見えません。 東北東の方向に、直繰距離ちょうど50キロメートルの位置に見えるはず。スカイ・ツリーの膝元は浅草。芭蕉庵もこのあたり。 観音のいらか見やりつ花の雲(芭蕉)
浅草寺は観音菩薩をお祭りしています。俳句で花と言えばサクラの花のこと。この句は芭蕉庵から詠んだもの。句碑が浅草寺境内にあると言います。 (満開の桜が雲海のようにただよい、観音様のお堂の屋根まで続いているよ)と、また旅心がでてきたか。 鳶尾山はいま桜の名所作りと称してせっせと植樹に励んでいます。 さいわい、常緑樹のスダジイ等でなる「神奈川県指定天然記念物・八菅の社叢林」とはちがって、落葉樹の桜ですから、冬場の眺望や自然観察には良い観察路でしょう。 大磯の浅間山は樹木の成長が速くて、もう、三角点からの見通しは全くききません。 出かけるときは地図、コンパス、あまり倍率の高くない双眼鏡、ルーペなど。サクラの樹で越冬しているヨコズナサシガメの集団を観ましたよ。 うろになっているところ、くぼんでいるところが狙い目、です。 □「はやぶさ」帰還カプセル展示記念講演□
つきましては、団員の参加希望をとりたいと思います。緊急連絡MLにて案内(出欠付き)を差し上げますので、そのメールの指示に従って申し込んでください。 緊急連絡MLに登録がない場合は、電話にて事務局石井まで申し込んでください。それ以外の申し込み方法はお断りしますのでご協力よろしくお願いします。
■お知らせ■
□保護者会のご案内□
3月活動と同時に保護者会を開催します。ふるってご参加ください。
■お知らせ■
□来年度の活動計画について□
現在運営委員会では来年度の活動計画を作成しています。意思調査の際、たくさんの活動希望をお寄せいただきありがとうございました。 参考にさせていただきます。ただ、その際、少年団の活動方針(野外観察を中心に、観察・実験を行う)や過去の活動実績等も考慮しますので、 全ての希望を取り入れるわけにもいきません。あらかじめご了承ください。 詳しくは入団式の時に連絡しますのでもう少しお待ち下さい。
なお、4月の行事は
例年、年間予定を早く知らせて欲しいという要望がありますが、各学校の学校行事や運営委員の異動状況も考慮して決定しますので、入団式まで今しばらくお待ち下さい。 ■お知らせ■
□原稿をください□
いつもお話ししていますが「かたつむり」では常時原稿をお待ちしています。 活動についてでもまったく違うことでも何でもいいのでぜひ原稿をお送りください。 もちろん保護者の方からでも大歓迎です。よろしくお願いします。
■お知らせ■
□事務局のメールアドレスが変わりました□
長年慣れ親しんできたメールアドレスだったのですが、2月から変わりました。 新アドレス bqv00023@jcom.home.ne.jp @以降のみ変わっています。 しばらくは(3月末日まで)旧アドレス(bqv00023@nifty.com)も使えますが、是非新しいアドレスでお願いします。 |