このレポートは、かたつむりNo.237[2003(平成15)1.25(Sat.)]に掲載されました

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鳶尾山から八菅山へ…
運営委員 道 上   定
 
 ここ7、8年、正月の休みになると、厚木の鳶尾山・八菅山を逍遥します。 だいたい1月は3日に出かけるのですが、これにはワケがあるのです。
 鳶尾団地側から登り、八菅山神社へ抜けるのですが、 正月三が日とあって八菅神社では氏子の方々が、熱い甘酒でもてなしてくれるのです。 焚き火に背中をあぶりながらいただく甘酒のうまいのなんの!
 目的はこれだからおとなってまるで了供みたいでしょ(!?)
 とはいえ、冬枯れのこの山は、日だまりを求めての散策にぴったりのところです。 ではご案内しましょう。

 小田急小田原線・本厚木駅前の@番からE番のバスであればどれでもだいじょうぶ。 「宮が瀬」、「半原」行き、「まつかげ台」行きまたは「鳶尾団地」行きに乗車。 「鳶尾山前」バス停で降りて下さい。一つ、二つ先の登り口に近いバス停がありますが、 「鳶尾山前」で降りてください。目の前に交差点「鳶尾団地入口」そしてハンバーガーショップ。 上り坂で両側には街路樹。見るとシイノキではありませんか。めずらしい。 なにしろ枝ぶりがおどけているので見あきないのですが、街路といえばやはり整然と 「みぎへならえ!」を見慣れていますから、とんだりはねたりのシイノキですと、 うれしくなります。公団鳶尾団地内の交番のお巡りさんが「昭和50年団地が出来たころ、 管理組合で決めたそうですよ」と、教えてくれました。
 坂を上り詰めると、右には駐在所。左に折れてほどなく前方右手に尾根がせまります。 山につづくコンクリートの石段と、足元には「鳶尾山ハイキングコース」のでかい文字。 フェンスの中が天覧台公園。鳥居をくぐるともう尾根道。
 すばらしい雑木林でクヌギやナラ、そして自慢のサクラの大樹。遠くに椿も咲いている。 メジロも多く、シジュウカラはすぐ近くで首をかしげて迎えてくれますし、 コゲラがすぐ前をよこぎったりします。 ドングリに足を取られたり、落ち葉で足をすくわれたり…。
 尾根の右側はほったらかしのヒノキ林、左は雑木林。ほどなく金比羅神社跡の空き地、 その裏手に観光展望台があります。その脇に日清戦争戦没者慰霊碑。 その横の柵に沿ってゆるい階段を下ると 水のしみ出ている石のゴツゴツした歩きにくい下りが少しばかり。 4・5年前でしたか、このあたりにブルドーザが人り、一部整地していましたが、 左側の少し落ち込んだところがその跡で良く見ると巨大な岩石がゴロゴロ。 粘土や砂からなる堆積岩で、小仏層の、地質学的にはいわゆる関東山地に分類される地域だと、 いわれます。
 下り着いたその先を、こんどは尾根伝いに登ります。 「桜の名所づくり事業」でサクラの植え込みを毎年やっているようです。すぐに到着して鳶尾山頂。 平成13年の「鳶尾山頂」碑にならんで、幅85センチ高さ3メートルのデカイ旬碑が建っています。 俳匠誌として10句が変体かなで刻まれています。 裏面には建設の趣意に「山紫水明にして復眺望絶佳の鳶尾山頂に…」とあり、 世話人の「俺ばかり見るには借しき桜かな(平塚市・井上健堂)」と 「来た道を見おろして汗ぬぐひたり(愛川町・山田洗纓)」の2句があります。
 なるほど「洗纓」は中津川の清流があり、纏は冠の紐です。 愛川・半原地区の繊維工業は地場産業だし、昔から糸の町・組み紐の町として知られています。 今はケータイのストラップも扱っているとのこと。
 眼下にはアユの中津川が流れ、その向こうに内陸工業団地さらにその向こうにだだ広い相模原市、 座間市そして新宿副都心から横浜・ランドマークタワー、江ノ島など…。 すばらしいながめです。
 そうそう、鳶尾山は地元・厚木市史編さん委員会『厚木の地名考(1974.8発行)』では 「とびおさんと書くが、呼び名はトンビョウと呼ぶ」と記録しています。
 また、同年3月発行の座間美都治『相模原の歴史』では 「…1882(明治15)年に下溝八の芝野に陸地測量部の一等三角点が設置された。 (現在「ろの原」2099番地)。 これが日本の三角測量の発祥となった相模野基線5209メートル余の北端点である。」 と書いています。
 だったら南端点はどこ?となりますが、これは座間市ひばりが丘一丁目5543番地にあります。 三角測量ですからこの南北の2点ともう1点、そう、この鳶尾山頂なのです。 広くもない山頂ですから、足元を探してほしいのですが、 真ちゅうの直径8センチ金属標が埋め込まれています。「偏心点」と彫刻されています。 ここにもともと一等三角点があったのです。 三角の各辺の長さが分かればこんどはここから基線内のさらに向こうの長津田村 (現在の横浜市緑区岡部)をながめ、この長さを底辺として三角形を拡大していくのです。 (三角点、測量、電子基準点などについては次の機会に書きます) このようにして距離と方向を求め、地図の元を作ったのです。
 鳶尾山を近代測量の大切な山として紹介しておきます。

 八菅山(はすげさん)には北へ向かいます。お日様のあたらない北のルートは毎年凍っており、 気を抜いて歩くと滑りますよ。ここの所は注意して。 この山は「いこいの森」として良く整備されており、ここからはよそ見出来ます。 陽のあたる南斜面でジャコウアゲハのさなぎを見ました。 神社は奈良朝時代の建立と伝えられ、修験の拠点だった所。拝殿階段の左右にオガタマノキが。 下の方はネットで囲われています。 2月から4月ころ咲くという花芽が痛まないようにしているのでしょうか。

 ユズリハやウラジロは正月の鏡もち、しめ飾りに縁起物として使いますが、 ウラジロはこの八菅神社境内が自生地の北限ではないか、 と丹決山系山草を守る会ではいっています。 ですが、ユズリハもウラジロも福島県を北限としている人もいます。
 このように丹沢とその周辺の山々は修験道・山岳信仰の山として、 そのためにまた自然が豊かに残っている、あるいはすこし人々の手が入って雑木林がある。 すばらしい山並みなのです。
 そして近くは近代測量の山としても大きな役割を果たしたのです。

 神社からは大橋を渡り中津川小学校の正面をとおり、隣接する保育園との間に、 移設された一等三角点「鳶尾山」がマンホールに「保存」されています。 国土交通省の真新しい鋳造の鉄の蓋です。 2年ほど前には保護石も曲がり、じゃまな感じで放りぱなしでしたから写真も撮れましたが、 今は見ることが出来ません。
 交差点まで戻ると右に歩道橋が見えます。この橋の付け根に交番。 この隣が「一本松」バス停ですから、小田急本厚木駅へ戻りましょう。

 ついでですが、逗子市の桜の名所「仙元山」ハイキングコースも、雑木林でドングリの宝庫。 秋から冬にかけて出かけて見てばいかがでしょう。 ヤシャブシもいいし、ケンポナシもかじれるし…。
 コースは「キリスト教会」から仙元山の「大菩薩」そして日蓮宗・実教寺へ出てくるという、 まことに日本人の年末年始の気分にびったり!ま、これはよけいなことです。
 仙元山頂上には不二仙元大菩薩碑があり、1826文政9年、170年ほど前に建てられております。 先達として藤沢宿・川上九左エ門の名前が刻まれています。川上家は代々藤沢の商人です。

 仙元、浅間信仰、富士山にっいてはまたの機会に書きたいと思います。

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