このレポートは、かたつむりNo.269[2005(平成17)4.3(Sun.)]に掲載されました

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江の島観光案内所
運営委員 道 上   定
 
 観光協会から「江の島観光案内所」が竣工したので、式典をやります。お越し下さいと、 開所式(3月19日)へのお誘いを受けました。
 出かけました。江ノ島弁天橋を渡って公衆便所の隣り、です。まだ吹く風は冷たいのですが、 空は晴れ渡っています。オヒガラも良いとかで今日は[大安]となっておりました。 式典では仮設の神棚をあつらえ、真ん中には紅白の鏡もち、お神酒。りっぱなマダイ1尾。 ハマグリとサザエを盛ったものを三方に。さすがに江の島です。もっともダイコン、ハクサイ、ナス、 トマトなどの野菜もありますが、リンゴ、バナナ、オレンジはては大きなパイナップルも。
 ながいお祓いがはじまって終わり、ながい詔(みことのり)が始まって終わったら、 こんどは西洋流のテープカットが6人の手で行われました。このあと観光協会長、市長、市議会長、 モース研究会長とあいさつが続きました。

 じつは片瀬すばな通りがわ弁天橋付け根のところには「片瀬江の島観光案内所」があるのです。 これとは違います。弁天橋といい、江の島観光といい、よく似た言い方ですから、 案内には注意しましょう。
 と、いうわけで島内にできたのはもと江の島電鉄バス案内所のあった所。江の電パスが不用としたので、 県の意向を打診したら即OKとなり、開設にこぎ着けたといいます。  外壁面はタイル張りなのですが、 岐阜で作らせたというひときわ大きい45センチ角のタイルに転写焼き付けの 解説プレートが横に6枚埋め込んであります。 内容は「エドワード・シルヴェスター・モース博士と江ノ島」。 そして博士の残した『日本その日その日』の中の挿し絵です。ご存知でしょうが、 モース博士は東京品川の大森貝塚を発見・発掘した動物学者として知られていますが、 このとき調査報告書も残しております。ということは日本における科学的な最初の調査であるのです。
 また、チャールズ・ダーウィンの進化論をわが国に初めて紹介したのがこのモース博士でした。 生物についてが専門だったはずなのに、すぐにその他のいろいろな分野に興味を示し、活動した人でした。 このことに関連して人類学や縄文土器(このことばも博士が発案した)、陶器・磁器・東洋陶器・美術など、 あるいはまた、日本の住まい、生活用具、商店の看板、おもちゃなども関心の中にありました。
 明治時代のモース博士が収集したこれらのコレクションはアメリカ・ボストンに大切に保管されています。 (と、いいたいところですが、まだ分類・整理されていない物が大部分とのことです。)

 もとはといえぱ日本には腕足類たくさんいると聞いていたので明治10年、調査・研究のため来日。 折よく推薦を受けたのが江の島。(シャミセンガイがどっさり採れた。 その嬉しがり様は日記『日本その日その日』を読んで下さい。) 網小屋を改装し7月21日から8月28日まで、 「動物学研究所」として採集、研究の拠点としていました。 ということはこの「江の島」は「近代動物学発祥の地」なのです。
みどりの江の島  そのような訳があって多くの方々が寄付をして下さり、『モース記念碑』を20年前に建立しました。 場所は北緑地広場のところ。地元の子供たちが、モース博士のいる研究所をのぞきにくるのですが、 研究の邪魔とはいわずむしろ楽しそうに教えている情景が彫刻されています。 藤沢在住の東大教授・山本正道先生の制作になるものです。
 みどりの江の島は信仰の島として守られてきましたが、 このことは同時に大きな開発からも守られてきたことにもなります。 ところが昭和39年のオリンピックで東岸の磯はすっかりなくなりました。 わずかに聖天島が「陸の孤島」として昔の面影を残しています。

 観光案内所の中の通路にも3枚のパネルにした解説板がありますから、 ついでの折りにぜひのぞき込んで下さい。 もっとも、その前に藤沢市教育文化センターで発行した最新版・藤沢の自然5 『みどりの江の島』を求め・よく目を通して下さい。 科学の江の島百科辞典になっていますから手元に置いておくのがいいでしょう。


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