このレポートは、かたつむりNo.291[2006(平成18)11.19(Sun.)]に掲載されました

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森の泉から引地川となって
運営委員 道 上   定
 
 「7キロメートルちょっと歩きます。すこしきついかも知れませんが、やりましょう」。
 活動内容を再確認する運営委員会で、司会役のls副団長がまとめたことば。 10月の「野外観察−引地川−」はこのようにして始まりました。担当はTa顧問とSa団長。 ルートの下見も行われ、ビンゴ・シートは他の団体の指導もなさって手慣れているTa顧問が作成。 5×5=25問が出来上がりました。 ビンゴシートの内容は幅広く扱っており、面白かったのではないかと思います。 わたしはすっかり楽しみました。
 とくにタネの運ばれかたがいろいろあることを教えてくれます。 (1)食べられて (2)動物にくっついて (3)はじけて (4)風に乗って (5)水に運ばれて。 フォト・ビンゴをながめると程よく並べられています。

 アレチウリ:なんでとげとげなの?  コブナグサ:はっぱは普通に見える。  ススキ、オギ:すすきを束ねて筆にして書く書家がいました。命毛はどうしましょう?  セイタカアワダチ:はちみつになって…  ヒノキ:サワラやスギとどうちがう?  ハナタデ:綾瀬市には本蓼川の地名があります。マタデの双葉はさしみのつまに。  マツの実:乾燥すると開くが、雨に当たるとどうなるか。  ヤツデ:八つ手なのだが、葉の切れ込みは7〜9などの奇数に。  タコノアシ:数株が色づき始めており名前のいわれが納得できよう。  キツリフネ:園芸植物としてインパチェンスが売られています。  カルガモ:コサギが斜に構えてじっと水の中をのぞき込んでいます。 帆掛け船状態のトンボのペアが視線をさえぎりました。すると嘴でパクッと捕らえのみこみました。 背にとまったトンボもパクッ。トンボのはねがのどに張りつくのか、 そのたびごとに水を吸い込んでおりました。 カワセミが登場するのを超望遠レンズでねらうカメラマンたち。7,8人はいた。 用意された棒杭にとまる。水はきれいではない。カワセミも都会派になってしまったか。  アカタテハ:羽がぼろぼろ。飛んでけーと空に放すが、よたよたと落ちてくる。 オペラ「マダムバタフライ」のフィナーレを見るようで、きつかった。
 時間がなくて慌ただしかった弁当の時間に、ジョロウグモにかまう団員がいました。 網のド真ん中にいるクモはメスなのですが、網のはじっこにいるちいさなクモはオスです。 オスは小さい上に背景に溶け込んでいます。 ナガコガネグモは網の端をつんつんとはじくといそいで寄ってきます。 なおもつつくとこんどは8本の足で網を揺らします。ゆびを差し出すと、お手をするといいます。 こんど時間があったら試そうと思います。オンブバッタを見つけた団員がいました。 このペアもオスが小さくメスが大きいのです。
 セキショウモだって雄株、雌株と別れますが、 雄花はうんと小さくてくびねっこからはずれて水面を流れていき、おおきな雌花と合体する。 するとスイッチがはいり雌花は紐状の柄があたかも形状記憶合金のように らせん形に引っ張られて水中にもぐる。
 いろいろな雌雄関係を見ますと、もともとメスがあって、 そして繁殖の補償装置としてオスという性が生まれたのではないかと思います。
 グラウンドのモグラ塚を見て、セキショウモを見て、 ソメイヨシノの一輪を見て「人生捨てたものではない」のか、 それとも「はかないものなのか」複雑な思いに囚われました。
 気を取り直し、高座渋谷の常泉寺辺りに近づいたとき、 「待てよ、かなり時間配分したのに、なんか疲れが滲みだした淺み出した。 おにぎり3個では足りなかったかな?」 などと反省しながら電車に乗り込みましたが、今少しはっきりしません。

 帰宅し、あらためて小田急江ノ島線「営業キロ程表」(平成18年6月発行)を眺めてみると、 鶴間駅一高座渋谷駅の距離は6.7キロメートル。 7キロ歩きます、と言ったls副団長のおことばどおり、ほぼ同じ。 念のため国土地理院の1:25000地形図「座間」(平成13年9月現地調査)を取り出し、 キルビメータで走らせてみました。6.75キロ。直線距離では6.50キロ。 こんどは厚木飛行場の滑走路を測る。2400メートル。なるほどこんなものだ。
 そこで野外観察で歩いたところをトレースしてみました。8.25キロ。 川にかかる橋を、左岸・右岸と渡り返すこと数回、これを入れると8.3キロ前後でしょう。 いやあ〜ls副団長にのせられました。 鶴間駅から川まで1.5キロ、川から高座渋谷駅まで0.5キロの計2キロくらい余計にかかるわけで。 夢中になっているときは気付きませんが、終わるとどっと疲れがでてきます。 それにくらべ団員の健脚はたいしたものです。班によっては「おんぶばった」が見られるかも! と期待していましたが残念、いませんでした。
 ある秋の昼ごろ、僕は東京から遊びに来た大学生のK君といっしょに 唇気楼を見に出かけて行った。
鵠沼の海岸に唇気楼の見えることはだれでももう知っているであろう。……(略)……
 僕らは東家の横を曲がり……(略)
 そのうちに僕らは松の間を−−まばらに松の間を通り、引地川の岸を歩いて行った。 海は広い砂浜の向こうに深い藍色に晴れ渡っていた。 が、絵の島は家々や樹木も何か、憂鬱に曇っていた。
(新潮文庫を参考にした。文字づかいは大幅に変えてある)
 これは来年没後80年を迎える芥川龍之介の『唇気楼(しんきろう)』の冒頭の部分です。 「引地川」が5回でてきます。この作品の発表は昭和2年3月。 小田急江ノ島線が開通したのが昭和4年でした。
 さて、野外観察で引地川河口にたどり着くのはいつでしょうか。今からたのしみです。

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