放送記念日・電気記念日・あかりの日 |
運営委員 道 上 定 |
きょうの鉱石ラジオ、うまくできましたか?
いちばん気を使いたいところは空中線(アンテナ)だと思います。
電波をいかにたくさん取り入れるかが、成功の秘訣のようです。 さきおととい、つまり3月22日は「放送記念日」でした。 我が国ではじめてラジオ放送が始まった大正14年(1925年)のこの日を記念して、 日本放送協会(NHK)が昭和18年(1943年)に制定したものです。 3月22日の午前9時30分、第一声が電波に乗った。 「あ〜あ〜あ〜、聞こえますか? JOAK,JOAK。こちらは東京放送局であります。 コンニチ、ただいまより放送を開始致します」。振幅変調(AM)の中波放送。 送信周波数800キロヘルツ。空中線電力500ワット。 ほんとうは3月1日から本放送を始めたくて準備していたのですが、 かんじんの送信機材がそろわなくて落成検査で不備が指摘されたり、 で3月1日から「試験送信」。22日から「仮放送」となったわけ。 じつはこのころの受信機(ラジオ)はそのほとんどが鉱石ラジオ (探り針式鉱石受信機)でしたから、間延びしたアナウンサーの声がよろしく、 その間に検波器の鉱石と針を調節したのです。 送信機の空中線電力は230ワットから始めたのですが、なにぷん出力が弱く、 東京都内でやっと聞こえる程度。それから500ワット。 7月12日に愛宕山からの本放送で1000ワットとなりました。 受信料は…放送開始から…取りました。受信機1台につき1か月あたり2円。 本放送の7月からは1円。高かったんですね。 放送開始の当時、鉱石ラジオは15〜25円、それにヘッドフォンが10〜20円。 放送を聞くには35円から45円の大金が必要でした。 ちなみに雑誌『子供の科学』が1冊60銭、ビール1本40銭、郵便はがき1銭5厘でした。 まだ80年というべきか、もうなのか驚く程の早さで世界がそして世の中が、 技術が進んでいます。 「鉱石ラジオ」は電波から信号電流だけを取り出す検波器に鉱石を使うのです。 方鉛鉱や黄鉄鉱が代表格です。ゲルマニウムも使うようになりました。 ゲルマニウムダイオードは私の生まれた年、1941年にドイツのジーメンス社で発売されましたが、 量産効果で20年もたたないうちに鉱石ラジオの検波器に取って代わりました。 ダイオードは整流器の一種ですが、そのうち「点接触型」が、まさにポイント!なんです。 そしてイヤホン。教材に使うイヤホンはクリスタルイヤホンと相場が決まっているほど。 もともとロッシェル塩の単結晶をスライスして電極をつけ、信号電流で振動させていたのです。 ワインにできる酒石の小さな種結晶を 酒石酸カリウム・ナトリウムの飽和溶液内で成長させたものがロッシェル塩。 17世紀の後半、フランスのロッシェル村の薬剤師が売り出したことから。 ロッシェル塩はなにしろ湿気に弱いのです。耐久性がない。 現在クリスタルイヤホンといっているものは真ちゅうの板にチタン酸バリウムなどの セラミックを貼り合わせた「圧電素子」を使っています。 そしてきょう3月25日は「電気記念日」。明治11年(1878年)、 中央電信局竣工の祝宴会が束京・虎ノ門の工部大学校(東大工学部の前身)講堂で催され、 このとき我が国で初めて電気による明かりが灯されたのです。 エアトン教授の指導で電池を電源にアーク灯を点灯した、と記録にあります。 モールスとも書かれるモース教授同様、 ウィリアム・エドワード・エァトン先生もエルトンと記され、 「お雇い外国人教授」となったイギリスの物理学者・電気工学者です。 日本電気協会が昭和2年(1927年)に制定しました。 電気照明はアーク灯から水銀灯、蛍光灯へと発展し、エジソンの白熱電球からは、 (二極)真空管(ダイオード)を生み出し、LED、有機ELへと突き進んでいます。 ちなみにエジソンが実用的な白熱電球を開発した1879年の「10月21日」が 「あかりの日」になっています。 白熱電球を電球型蛍光灯に2010年までに切り替えるよう、 オーストラリア政府が2月からキャンペーンを始めました。 温暖化ガス削減策の一環で、 環境対策として電球切替えを政府が打ち出したのは世界で初めて、となります。 |