このレポートは、かたつむりNo.393[2014(平成26)01.12(Sun.)]に掲載されました

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鳶尾ではかることのは
運営委員 道 上   定
 
 本厚木方面から来てバス停「鳶尾山前」に降りると東側に上り坂の交差点が見えます。ここは「鳶尾団地」の入り口です。
 ハイキングはここからはじめましょう。濃い緑の街路樹がいろいろな形で迎えてくれます。 枝振りが好き勝手で伸びるものだから剪定の職人さんは、はさみの入れ方に苦労していることでしょう。 この団地、昭和44、5年にできたのですが、このとき街路樹についてもみんなで話し合って決めたとかで、それが今の「スダジイ」と言うわけです。 このあたりでは何も特別な樹ではありません。むしろここでは普通のもの。それを街路樹の将来の「育った姿」を見越して選んだのですから、たのしいお話です。 勝手な枝振りの樹が何十本も並んでいますから、自分によく似た個性を探して歩くのもいいかも。
 上りきった坂を左に折れて数分、ちいさな「天覧公園」があります。「天覧」ですから「ご覧になった」ところ。全国的にございます。 コンクリートの階段を上りきって、いよいよ雑木林。ことしのシイは豊作のようで、きょうのコースはどこもたくさんドングリが落ちていました。 ここも厚い落ち葉のあちこちに。展望塔からは東京タワー、スカイツリーを探しましたが、はっきり見えませんでした。
 正月の、とりわけ三が日は製造業などのような大気汚染物質などの排出も少なく、自動車の稼働も控えめなので空気もきれいなのですが・・。 鳶尾山頂でおにぎりとお茶をザックから取り出してゆっくりしました。
 鳶尾山は「近代測量の発祥の地」です。
 明治15年(1882年)陸軍省参謀本部測量課(現在の国土地理院)が、我が国最初の基線となる「相模野基線」を設けたのですが、 基線の北の端を高座郡下溝村に、南の端を高座郡入谷村に置き、結んだ直線のことを言います。 準備作業が同年3月からはじまり、9〜10月に両点間の実測測量が行われ、この基線の全長5209.9697メートルが算出されました。 この成果をもとに翌16年、鳶尾山そして長津田村を加えて三角測量がおこなわれたのです。
この三角測量の拡大・繰り返しにより測量をひろげていったのです。 相模野基線の北端点、南端点そして鳶尾山の一等三角点は国土地理院の地形図に記載されているので、探し出してください。
鳶尾山の一等三角点
■鳶尾山の一等三角点
 念のため鳶尾山からスカイツリー方向を眺めると、こんどははっきりと見えるではありませんか。東京タワーも。
 無風状態の朝早くに地面あたりを日の光が照らすと暖まり、細かい蒸気が立ち上ります。それが視界を不鮮明にするようです。 昼に近く風が吹くようになると、汚れがなくなり鮮やかに見える、と言うわけ。 スカイツリーまで60キロメートル前後の距離ですが空気が澄んでいると裸眼でもよく見えるのです。
 八管神社にはナギの大樹がそびえています。その根元にはタネから芽を出したちいさな小さな葉っぱが照り輝いています。  鳥居のそばには句碑が建っており、

   蓬莱に きかばや伊勢の 初便り

と、安政7(1860)年の芭蕉の句です。この地を訪れてのものではありません。季語は初便りで、春です。 わたしは正月三が日にここに来ると接待の「甘酒」をいただきます。それも近頃は2杯も。 ご返杯のつもりで、念のため「甘酒」の季語を確かめますと、それは夏にありました。夏に甘酒?そう夏なのです。どうしてか、は考えてみてください。 ソーダ味のガリガリくんは暑い盛りにかみ砕くと、それはもうたまりません。 あずきバーは冬の試験の追い込みの時、カップにバーごと差し込んで電子レンジでチンするとほどよい甘さでうまい。餅を一切れ入れるのもいいとか。これは聞いた話し。 これらを「氷菓子」といい、やはり夏の季語。いちごはどうでしょうか?
 芭蕉を慕っていた蕪村に、

   甘酒の 地獄もちかし 箱根山

が詠まれました。
 ご返杯のつもりだった「甘酒」。けっきょくまだそのままです。




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