このレポートは、かたつむりNo.394[2014(平成26)02.23(Sun.)]に掲載されました

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科学という広大な世界
運営委員 道 上   定
 
 ES細胞で目を見開いて、「なるほど、受精卵か。でも、ヒトの卵子に手を加えるのでは・・・」倫理的な課題が残るし・・・。 iPS細胞のときには「とうとうここまできたか。 しかし、神様の設計図ではパーツの材質はなんでも良いのかな?経年変化は想定しないの?」と思っていたのですが、 最近報道されているSTAP細胞では幹細胞に衝撃を与えて「初期化」に成功したといいます。
 万能細胞作りも、このように経過をたどると「振り出しに戻った」感じがします。
 細胞のどの時点でリセット・ボタンをおすのか。あるいはショックを与えるのか、 条件のいろいろな組み合わせを無駄なく実験しての成功ですが、千の欠伸と飽くなき忍耐に、 いろとりどりの閃きが用意されていないと成功しません。
 ピペットを束にして効率よく操作していると見逃す変化もあるのではないか、そう思います。 物事の変化が束になって流れるのに、脳内処理がついていけないことって(年をとるとなおのこと)よくあるのです。 駒込ピペットで液を移しかえるとき、先の細いのでやると細胞を傷めやすいし、衝撃を与えやすいのです。
 ピペットにはメス、駒込.マイクロ.パスツールとあって.用途は定量用、分散用に分かれます。 駒込ピペットといえば、この2月に行われた県内公立高校共通選抜問題の[理科]に、使い方について出ていました。 実際に手にとって使ってみないと答えはでないのでは。
 電磁石についても出題されてありましたが、同じこと。自分でやってみないと記憶に残らないと思います。
 『呼鈴の科学一電子工作から物理理論ヘー』が1月、講談社現代新書として出版されました。 著者によれば「ファラデーの歴史的名著『ロウソクの科学』の精神に学び、一つのテーマから流れ出す広大な学問世界を、 読者に御紹介することを目的として」出した、とのこと。 ピペットならぬスポイト・ロケットを打ち上げるだの、電磁石にまつわることがたくさんでています。 自分の興味を眺めてみるにはおもしろいかも、しれません。

駒込ピペットの由来〜がん・感染症センター都立駒込病院HPより〜
駒込ピペット  駒込ピペットは、写真1のように上部にゴム乳頭を備え、ピペット管の上3分の一の部分に膨らみをもたせたスポイト状のピペットです。 容積は1〜20mlのものが多く、目盛りのあるものとないものがあります。毒性のある化学溶液、細菌液、刺激性物質を採取・希釈する時などに使用されます。 迅速・安全に採取でき大変便利であり、わが国では化学、医学、生物学分野や高校の化学実験などにも使われています。 また、英語名Komagome Pipetteとして世界的にも広く用いられています。 しかし、採取量は精度が高くなく、微量の精度が要求される場合には適当でなく、最近では以前ほど使用頻度は高くなくなりました。
 駒込病院は明治12年(1879)にコレラの避病院として設立され、その後、伝染病院として数多く業績をあげてきました。 駒込ピペットは当院が伝染病院として活躍していた1920年代に、作製されたピペットです。 ピペットの作製に関する文献はありませんので、理化学機械の歴史に詳しく本も著している木下義夫氏に話を伺いました。 木下氏の話では「かつて、駒込病院は伝染病患者を収容し治療することを目的としていたので、臨床医学はピペットを多量に必要としていました。 しかも、危険な伝染病菌をあつかうので、安全・確実・迅速にサンプルを採取したり希釈する必要性がありました。 使用したピペットは、伝染性のある危険な細菌やウイルスの付着があるため、使い捨てとしました。 使い捨てにするためには、値段を安くする必要があります。 そこで、計量器検定を必要としないピペットとして、安価に作製されたのが、駒込ピペットであるということであります。
 作製者は、今より80年ほど以前の駒込病院長の二木謙三先生が、考案したということです」ということでありました。
駒込病院第五代院長 二木 謙三先生  当時、伝染病患者から採取した検体を検査するにあたり、ピペットを口で吸うのは極めて危険なことであり、 安全性の見地からもスポイト状の使い捨て型のデスポ・ピペットを世界に先駆けて開発したものと推察されます。 一見、変哲もないようでありますが、極めて独創的かつ実用的発想で、その後、この駒込ピペットが世界的に普及したのも当然なことと思われます。
 二木謙三先生については、当時、注文に応じてピペットを作製・販売した小林商店に、 尋ねたところ先・先代社長小林吉次郎が、駒込病院第5代院長二木謙三先生に依頼をうけて、ピペットを作製したのが最初であるということでした。
 二木謙三先生(写真2)は、1873年秋田に生まれ、1901年東京帝国大学を卒業後、直ちに駒込病院に就職し、 コレラ菌、赤痢菌の研究で新型菌(駒込A, B菌)を発見しています。ドイツ留学後、駒込病院副院長、1915年鼠咬症スピロヘーターを発見、 1919年から1931年まで駒込病院第5代院長を務められています。駒込ピペットは院長時代の1920年代に作製されたものと思われます。 1921年からは東京帝大教授も兼任され、1955年には文化勲章を受章されております。


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