科学と宗教は高めあう | |
運営委員 道 上 定 | |
ローマ・カトリック教会の法王が、世界の科学者が集まるバチカン科学アカデミーで
「神は自然の法則に従って進化するよう、生物を創られた」と、この秋にあいさつしました。
おもてだって発言するのはめったにないことです。 (神だもの.ご存じなかろうはずはない)、変化の過程までご承知のはず。 このことはすでに60年ほど前に時の法王が表明していたことですが、長い厳格な宗教教育のおかげで、 柔軟な「頭の切り替え」がすなおにゆきませんでした。 なにしろ、サルが進化してヒトができた・・なんて!、信じられるか。 サルとヒトを並べて見比べると、@どこも似てないじゃないか、Aそっくり、の2つに意見が分かれます。 キリスト教カソリックの信者は@に、プロテスタントの信者はどちらかというとAが多い。 進化論を提唱したダーウィンやそのほかの人たちは、祈りの中で生活する人たちから厳しい目にさらされておりました。 進化論を唱える人たちもほとんどが神を信じていたし.神を冒涜するなど考えていませんでした。 むしろ「生物がひとつひとつ神によって造られた」ことを、なんとかして解き明かしたいと、必死だったのです。 ところが研究すればするほど、また、化石を並べ、時間的経過を追えば追うほどに「似ているものでつながってゆく」 事実に恐ろしさを感じたはずです。 地球、宇宙、太陽系・・、むしめがね、顕微鏡、ナノ世界・・。方向が反対の世界ですが、なんだか似た世界、です。 神も仏も一緒の世界ではありませんか。けっして科学と宗教は対立しない、そう思います。 ウテナ(台)の上にお座りになったお釈迦さまの、手のひらの上のできごと、それが世界では。 思えば、モノサシの当て方、時間のとり方で(無いとはいえない事実)に近づきます。何千万年前と今の物とを並べて見る。 違いすぎる、と感じる。が、そこに化石を挟むと「なるほど」似てる、流れが見つかる。 この繰り返しを進めて合理的な理屈を重ねるのです。 明治30年代に「生物進化論」の推進者・東京高等師範学校教授・丘浅次郎氏がいますが、『進化論講話』の著者として有名です。 650ページほどの大書ですが、その中の第15章「外界より動植物に及ぼす直接の影響」第2節「塩分の影響」に、 ロシア人・シューマンケビツチの「ホウネンギョ」の塩分濃度による身体変化の実験を紹介しています。
時代を切り開いてゆく人たち。たしかに「並のヒト」ではありません。かといって変人ではないのです。 「俺は田舎のプレスリーJの吉幾三、「精霊流し』のさだまさし、はかなり先を見据えて動いているようすです。 さだの『雨やどり』に、見初めたふたりが初詣で再会し、ことがトントン拍子にはかどり、気がっいたら「あなたの腕に雨やどり」 とうたう。これも神様か仏様の手のひらでのできごとでしょう。 さて、夜がいちばん長くなるのが冬至とかクリスマスのころ。 大きな袋を肩に掛け、人に見つからないよう他人のうちに入って物を置いてくるのがサンタのおじさん。 物をとってくるのがドロボーのおじさん。で、 「おかあさん、ぼくの頼んでおいた野球のグローブは、サンタのおじさんプレゼントしてくれるかな?」 「バカだねえー、この子は。プレゼントに回っているのはサンタのおじさんだよ」 「わあ一い。うれしい1」 「もらえないよ。うちは浄土宗。」 11月下旬サンタの本場・フィンランドのサンタ研修所からサンタが来日しました。 ソリはクリスマスの出番を前に点検整備中のようでジェット機に乗っての、一人旅です。 もっともサンタが集団で行動したら壮観でしょうね。 夢のない話しをだらだらと・・。ごめんなさい。 |