このレポートは、かたつむりNo.407[2015(平成27)01.10(Sat.)]に掲載されました

戻る

ジャンク・パーツでまにあわせる
運営委員 道 上   定
 
 寒い日が続くある日、気がゆるんで暖かい物がほしくなります。部屋全体の暖房は使わないようにしているので、 けっきょく、熱いいっぱいのコーヒーで…とか、たまには「はんだごて」のほのかな熱を楽しみます。
 半世紀ぼど前の「電気はんだごて」は銅の穂先がすぐに喰われて凹みが大きくなるので、 やすりを掛けて元通りに尖らせながら使ったものでした。いま出回っている「はんだごて」は穂先を 「鉄めっき」しているので[喰われ]はありません。反対にはんだの中に銅を加えたりして [喰われ]を防いでおります。
 50年も前は電気部品も格段に大きく、だから電気こての容量も40〜60ワットと大ぶりの物でした。
 電気工作の中では「鉱石ラヂオ」が当時も一番人気でした。とくに私の生まれ育った長崎の小さな島は、 日本の西のさいはての地で、本土より朝鮮半島に近くそのぶん大陸の放送が聞けました。 また、すぐ近くには佐世保の軍港があり、駐留軍の英語の放送が常時流れていました。「鉱石」は方鉛鉱などのカケラです。 検波回路の電極のあいだに挟み、探針を触れさせ整流作用を利用したものです。惜しいことに鉱石ラジオは音量が足りません。 真空管使用のラジオを作りたくなります。真空管は熱電子放射を利用するため、ヒータを内蔵するので電源は電池ではとても間に合わない。 交流100ボルトの商用電源を使います。
 やっと組みあがったラジオのプラグをコンセントに差し込むとき、真剣な気持ちになったものです。 差し込んだとたんポッとけむりがでて「またおまえか!」。怒号が飛んできて、おっかけゲンコが飛んでくる。 ヒューズが飛んで停電、真っ暗。自転車用の懐中電灯と踏み台を持って玄関の上がりがまちでヒューズ・ボックスのふたをはずし、取り替える。 ふたをする。ぶらさがった電球に灯がともる。二度もやると工作禁止。そして、各部屋1個しかないコンセント。 そこで「電気は便利」と、タコアシ配線は常識。だいどこは親タコのうえに子タコを足して混乱状態で使っていました。
 へたすると近所も停電に巻き込むので、慎重になります。
 さあ、できた。プラグを差し、スイッチを入れる。パイロット・ランプがつく。煙はでない。真空管の底に赤みがさす。 スピーカからなにやら音がでる。VRをまわす。間違いなく音楽だ!兄たちも喜んでくれる。母も。
 コンセントにプラグを差し込むとき[社会参加]を実感したものです。
 当時の回路のコンデンサ・抵抗器などほとんどの部品は、現在のものとは比較にならないくらい大きなものです。 電気的にはもちろん、機械的にもしっかりとはんだ付けしないといけません。コンデンサは湿気やホコリが大敵で、 製造環境が悪いとすぐにパンクします。抵抗器も同じです。かといって名の通ったメーカ製だと値段は高いわけです。
 一度使った、中古のものが山積みして店頭に並べて「20個30円」とかの値段をつけています。 強引に引っ張りながらはんだづけをはずした、曲がったままのリード線で数個がからまるのですが、そのまま売っています。 ジャンク・パーツと言います。中古だけでなく規格はずれの部品、きず、色違いなど。ときには軍用機器の放出品もありました。 佐世保港すぐ近くのジャンク・マーケットで制作の部品を調達するのです。 家に帰ってから、回路図とマルチ・メータで数値を追いながら部品を選んでゆくのです。
 高校卒業後は関東地方に住まうのですが、私は、あいかわらずのビンボー学生でしたから、ジャンク・パーツは東京・秋葉原で、 そしてたまには横浜・石川町のエジソンプラザで間に合わせました。
 工具も電気部品も足りない時代でしたが、そこはそれアマチュアの強み、気楽でした。
 しろうとで趣味でやる電気工作ですからジャンク・パーツでじゅうぶんです。ラジオも鳴るとわかれば再解体、部品も再利用するのです。
 私の生まれ育った島にはアマチュア無線技師はJA6HUのNさんが、ただひとりでした。もちろんこの人もジャンク愛用者でした。

 【写真説明】コンセント:社会への入口。国によって使用電圧がちがい、形状も異なる。 「コンセント」の明確な定義がいまだに見あたらない。法律にも電気工学の専門書にも説明したものがない。 「コンセント」は和製英語らしい。英語圏ではコンセントのことをアウトレット、プラグ・レセプタクルとかプラグ・ソケットと言う。 写真は「アース電極付きコンセント」
 すべての家電製品の電源プラグに「耐火性試験」が義務化される。2016年3月17日から実施。 単体販売のプラグは2015年9月17日から。これはトラッキング火災の予防のため。


戻る