このレポートは、かたつむりNo.415[2015(平成27)08.31(Sun.)]に掲載されました

戻る

救荒植物をついばむ平和の象徴
運営委員 道 上   定
 
 日の出から3時間近く経って今は午前7時30分。「晴れ」の日がここ数日続いて、今朝もTVは暑いあついを連発しています。
 いつもの散歩の小道ではスズメが群をなして草の実を拾っています。咳払いを合図にいっせいに飛びたちました。
 駅前のスズメはご飯粒を待っていますが、ハンバーグのかけらも好きです。にんげん同様けっこうなんでも食べます。カラスもハトも同じように雑食性です。
ポーチュラカの葉っぱをついばむハト。ふだんミミズや雑草の種、木の実、パンくずなど、なんでも口にする。 メス・オスとも育児に参加。ピジョンミルクと呼ぶ、炭水化物はほとんどなくて高タンパク質のミルクをのどから出して与える。 葉っぱの成分はなんなのか。
 雨上がりの昼間のこと、藤沢駅北口のペデストリアンデッキの花壇にはポーチユラカの株を植え付けているのですが、その葉っぱがことごとく、ちぎれ食われています。 ポーチュラカの行列の向こうにはハトの群れがいま食事中です。ほとんど躊躇なく葉っぱをちぎり呑み込んでいます。
 「花壇に植え付けている花に、手を出すか?(今回は手ではなく口ですが…)」。
 しょうしょう雨が降らなくても、日照りが続いても、踏まれてもけっこう丈夫なポーチュラカです。ですが、ハトに食われることは計算に入れていないはず。
 無惨にもそこら一帯は茎だけの花壇に。
 70年前の戦前・戦中・戦後にもこのような人の手による「摘み草」事件が当たり前のようにありました。そのころはポーチュラカではなく「スベリヒユ」でしたが。
 戦争中や災害時の食糧事情が悪いとき利用されたのが[救荒植物]ですが、山菜、野草は「風情のある」たべものとその季節・その土地で食料とされます。
 ネマガリダケ、シオデ、タラノメ、ノビル、クコなどは季節の味として通の大人に好まれます。タンポポ、ユキノシタ、スベリヒユ、カンゾウなどは時期を選べばおいしいものです。
 植物はたいしたものです。ヒトから[絶滅危惧種]と言われ[外来侵入種]と言われようが、周囲とバランスをとり生き延びる、すばらしい手法をもっています。 スベリヒユ、ポーチュラカも抜群の復原力を持っており、1週間もあれば葉っぱはもと通りに青々と茂ります。
 それにしてもハトがポーチュラカの葉っぱを食べるとは思ってませんでしたが、5月下旬だったかフジの新芽をちぎりとって食べているのを見たのは、 これも関係しているのか、いまのところはっきりしません。
 そのハト。鳥のなかでも体重に占める脳の割合は小さい方とのことですが、あの帰巣本能の「帰ってくる特性」はどこにあるのでしょうか。
 きっと「超小型GPS内蔵」の脳みそといえませんか。
 おそらく画像展開にあたって縮尺を切り替えて、(行き・帰り)を(裏・表)の画面として密着。自分の位置情報をプロットして、そこへ確実な変化修正・加えて立体視。 そのあとあり得ない角度、光線具合を消去して軌道を求めている…のでしょうか。
 あんがい生き物たちは特化したGPS、特化したセンサをもっており、歴史を生き抜いているに違いありません。
 ウィルスにしろ、クマムシやダニにしろ、数十万年のヒトの段じゃない。何億年も命を磨き、つないできたのです。
 ヒトは命を磨き、繋いで行く努力が足りない。むしろ命を傷つけあい、セーフティ・ネットを切り裂くことばかり行っています。 ハトを平和の象徴とお願いしたのなら「ハトに学べ」。スベリヒユの学名に〔食べることのできる〕とつけたのだから「救荒植物に学べ」。 2020を「平和の祭典」としたいならそのような路面電車のレールを敷かなくては。
 ユキノシタは[吊り忍]として軒下に提げ、涼を誘うのにも使いますが、葉っぱは薄いころものてんぷらにして食べると香りもよくおいしいのです。


戻る