このレポートは、かたつむりNo.486[2020(令和2)08.30(Sun.)]に掲載されました

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人間とは?アンドロイドとは?
いそぎんちゃく R.N.
 
 あなたは人間ですか。あなたの家族は本当に人間ですか。自分のことが本当に人間だと確信できますか。
 第三次世界大戦後の地球はどうなっているのだろうか。思いを馳せて行くと、そこには「死」の世界があると私は思う。 核兵器が使われ、沢山の命が失われる。そんな中、生きる希望を失った人たちだけが明日への希望もなく生活しているのではないか。

 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という「ブレードランナー」という映画の原作となった小説を読んでアンドロイドなどロボットについて考えてみた。 このお話では、第三次世界大戦後に住む、警察の賞金稼ぎである主人公「リック・デッカード」が人間の代わりに作られたアンドロイドを狩り、 一体狩るごとに賞金を手にする、という仕事をしている。リックは生きるために仕事としてアンドロイドを殺す。 リックは仕事としてアンドロイドを確実にしとめていく。だが、彼の心は次第に変化していく。 「きみはアンドロイドに魂があると思うか?」これは、火星から逃げてきた女性アンドロイドを仕留めたあと、 リックが同僚に投げかけた問いである。現在開発が進められ、日常を豊かにしてくれているロボットだが、ロボットには魂があるのだろうか。

 ところで、あなたは受付にいる人型ロボットをみたことがあるだろうか。本物とはまだ程遠いが一瞬本物であると思える「あれ」だ。 あのロボットには人間にはあるがロボットにはない、大事なものが欠けていると思う。 それは「共感能力」いわゆる「感情表現」だ。 感情を表現することはロボットでも可能だが、それはあくまで人間が学習させたパターンによって、 この場合はこういう感情と機械的に判断しているだけに過ぎない。 一方、人間の場合は人それぞれ物事に対する感じ方が異なり、感情も異なる。 筆者も「人間とアンドロイドの違いは共感すること」と述べており、これは感情を持つということの前提にある条件だと感じた。 他者や動物の立場に共感する、だからこそ相手に対して感情を抱くことができるのである。
 そんなことを考えていると、こんなニュースを思い出した。とある犬型ロボットを飼っているご高齢の方。生きがいはそのロボットだ。 可愛くて可愛くてしようがない。ロボットだとわかっていても我が子のように可愛がっている。こんなにもロボットに感情を抱けるものなのか。 思えば習い事で一緒だった子がお人形をつれてきたことがあったっけ。本人曰く、「お家でひとりなのはかわいそう」とのこと。 これはまさしく共感である。私は飼っていた蟻に「寒い?」「お腹すいた?」と声をかけていた。これも一種の共感だろうか。
 考えてみると、人間が物や動物に共感している例は身近には沢山ある。だが、逆はどうだろう。 少なくとも私はロボットに共感されたことなど一度もない。私は「魂」には「感情」があると思う。 だからこの定義で考えると「ロボットに魂はない」といえる。

 今は魂を持たないロボットだが、近い未来にロボットは確実に人間に近づき、感情と魂を持つときが来るだろう。 そこで「人間とロボットは相容れないものなのか。」という議論をする。 もし、相容れないものではなく共存できるのなら、ロボットが人間を超えても異論はないはずだ。 しかし私は、人間には人間なりのプライドがあるからロボットに負けたとは認めないと思う。私もそう考える1人である。 ロボットに命令されるなんて耐えられない。ロボットは所詮、人間が人間の為に作ったモノなのに……。 人間はロボットとの競争に打ち勝ち、自分たちを頂点とした世界を作り上げるべく活動を続けるだろう。

 作中でアンドロイドは、どこまでも人間と相似したものとして描かれている。 また、感情移入を人間固有の性質とし、人間とアンドロイドの識別には、感情移入時に起る生体反応を検査する手法をとる。 相似していても人間とアンドロイドは区別するべき相容れない存在なのだ。 だが、相容れない人間とアンドロイド、そのバランスを大きく崩す印象を与える「J・R・イジドア」という人物が登場する。 彼は、人里離れた郊外で暮らしている。そこへ逃げてきた人間嫌いのアンドロイド達。 優しい心を持つ彼は、結果的にそのアンドロイド達と打ち解ける。必ずしも人間とロボットは相容れないものではない。 筆者はそんな暗示もしているのかもしれない。

 「私」という生体は、多分今現在ロボットではないと考えている。 人間の記憶を埋め込まれた精巧なロボットでない限りの話だが。そう、私は人間なのだ。 ほぼ百%の確信を持って。考えると怖くなるが、私が大人になった頃には自分が本当に人間なのか50%の自信しか持てないかもしれない。 だからしっかりと自分自身を理解し、人間らしい感情を持って生活しなければならないのだと思った。

 科学の進歩は凄まじく、近年はAIなども注目されてきている。 今回私は、アンドロイドを取り上げた本を読むことでロボットと人間について考えた。
 1900年代の近未来映画を見ると、まさに今のことであったりして驚いたこともあることと思う。 最近はAIと人間が戦ったりまだ考えられないけれど数十年後には起こり得るかもしれないことが描かれた作品が多くある。 そのような作品に触れ、近未来に思いを馳せて技術の進歩について考えてみるのも良いかもしれない。

 近未来の時代は人間とロボットがが共生しているのかもしれない。その時、人間とロボットの関わり方はどうあるべきか?考えさせられますね。
 もしかしたら、人間とロボットとではなく、人間同士のあり方にも通じるのではないかな?
 実は昔「鉄腕アトム」という人気漫画がありました。やはり近未来、人間とロボットが共生している時代のお話しです。 果たしてロボットに「心」があるのか?ものすごく大きなテーマのもとでのお話しでした。
 団員のみんなは聞いたことないよね。もしかしたらお父さんお母さんも知らないかも。 おじいちゃんおばあちゃんならきっとよく知っていて色々話してくれると思います。

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