このレポートは、かたつむりNo.249[2003(平成15)11.30(Sun.)]に掲載されました

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科学マンガの一コマから
運営委員 鈴 木 照 治
 
 私が子供の頃(60年近い昔)にも、科学マンガというのがありました。 その中の一コマに、「山の中で木の切り株を見たとき、年輪の幅の広い方が南」というのがあり、 30年前、息子の少年時代のマンガにも、同じ場面があって、また出ているなと思いました。 現代では著名な漫画家石の森章太郎氏の科学漫画大全集が読める時代になっています。 前置きはさておき、先頃、理科教師の大先輩で、前の、藤沢市の文化財保護委員の方から電話があり、 「鵠沼の松の年輪は、北の方が巾が広いのはどうしてか?というのでした団員の皆さんはどう思われますか? ふつう、木の年輪は、マンガにもある通り、確かに南側の方が年輪の巾が広いのです。 マンガでも、その理由として、「木は南側の方が、太陽の光によくあたるので、よく生長するため、 南側の年輪の部分がより生長するから」だとしています。この理屈を、鵠沼の松にあてはめると、 鵠沼では北側の方が、南側よりよく生長していることになります。それが事実とすれば、 「なぜ、鵠沼では、そんなふうに松が生長するのか」という問題になります。
 クロマツは藤沢市の木です。120年前の地図では、 いまの藤沢市にあたる地域の大部分はクロマツ林であったことがわかっています。 40年前でも、鵠沼(本鵠沼はじめ、鵠沼○○と鵠沼の名の付く地域)のあたりにはたくさんのクロマツ林がありました。 しかし、30年ほど前、藤沢にたくさんの家ができた頃、多くのクロマツが枯れたり、切られたりして次々と姿を消し、 鵠沼の松もその多くを失いました。さらに、最近の10年間にも、クロマツは徐々に枯れて、 市内に残る大木はごくわずかになりました。こうしてできた新しい切り株の年輪に目を留めて、 「なんでだろう?」と新しい疑問が出てきたのです。
 この問題を解くためには、仮説を立て、その裏付けとなる証拠をあげなければなりません。 ここで仮説というのは、物語のすじがきのようなもので、裏付けとなる証拠とは、 観察にもとづく事実の記録です。いま、連日のように放送されているテレビのサスペンスドラマで、 刑事や探偵が苦心して動機と裏付けとなる証拠を訪ねまわるのと似た感じといえるでしょうか。 つまり、動機がわかれば、すじがきが読め、何が証拠になるのかもわかってくるのです。
 さて、「北側の年輪巾が広いのはなぜ?」との電話を受けた時に、一つの仮説が浮かびました。 私のつくった「すじがき」というのは「鵠沼のクロマツは、強い南からの海風のため、 枝葉を北側にしか茂らせることができないので、北側の年輪が発達する」というものです。 そのヒントとなったのは、片瀬地区に伝わる「西行もどり松」の伝説です。 片瀬公民館前にあるこの松は、枝を京都(西方)に向けてのばしているのでその不思議さから、 この伝説が生まれました。(現在の松は何代目かでその特徴はあまりハッキリしませんが、 すぐそばにある片瀬公民館の松は確かに枝を西に向けて伸ばしています)。
 鎌倉時代、片瀬の中心地だった本蓮寺門前のあたりでは、初夏の季節、主風となる南風が、 地形の関係で、この付近のみ、西に曲げられ、東風となるので、新梢が西に伸びる傾向が出るのだと私は説明しています。
 古い地形図を見ると、湘南砂丘の尾根が伸びる方向がよくわかります。大磯から、平塚、 茅ヶ崎、辻堂と続く海岸砂丘は東西に長く延びています。辻堂に入るとやや北へ向きを変え、 西南西から東北東にのび、引地川をこえて本鵠沼に入るとさらにねじれて南西から北東に連なり、 小田急線と江ノ電にはさまれる鵠沼のあたりでは、南から北へと続く丘になります。 つまり、鵠沼のあたりでは若葉の季節、木々の梢を吹き抜ける砂を交えた南風が一層強まっているものと想像されます。 初夏に新梢を伸ばす夏緑広葉樹は、柔らかい若枝を風上に向けて伸ばすことは困難で、 枝は風下側にかたよって伸びる傾向があり、藤沢ではイチョウの大木は、たいてい、 梢が北方向に曲がっているのが観察されます。殆どの木は新梢が強風で傷んでも、 わき芽が伸びてこれに代わり、樹形が極端にかたよることはありませんが、砂丘のクロマツでは、 砂粒の攻撃で柔らかい新芽が傷つくと、その方向に枝を伸ばすことができなくなってしまいます。 強風にいちばん強いクロマツでこの有様ですから、クロマツの風上に立つ植物はありません。  先ほど、鵠沼のあたりでは砂丘が南から北に延びていると述べましたが、 これがこの地区のクロマツの枝が北に延びる主な原因であることがわかると思います。 これから先は、証拠となる事例を、具体的に指摘し、記録しなければなりません。 それには、現に生きている鵠沼のクロマツを多数調査して、 その大部分が枝の大半を北へ出しているという結果を得ることが必要です。
 団員のみなさんの中に、この調査をやってみる人はいませんか、どの学年でも相応の「論文」ができるでしょう。 毎年、教文センターで行われる「科学展」に、 藤沢にまつわる科学のなぞときが一つぐらいあってもいいとは思いませんか。

鵠沼桜が岡、公園のクロマツ切り株   片瀬公民館の松(東から写す:立体写真)
 …… おことわり ……この文は皆さんの興味をひくために、鵠沼の松に限り、特別に、そのすべてが、 北側の年輪巾が広いということが事実であるかのように書きましたが、事実であるとは言っていません。 西行もどり松の話と、30年前、まだ鵠沼にたくさんあったクロマツの梢(こずえ)が、 一様に北へむかってつき出していたのを、小田急線の車窓から、よく眺めた記憶とからの想像による文で、 いわばフィクションです。もし、調査するなら、できるだけたくさんの事例を集めることが、 正しい結論を下すためのポイントになります。最近、私が鵠沼を散歩して観察したところでは 「北の方へかたよって枝を出す」というのは、事実ではないような気がしています。 一株だけ、写真を紹介しておきます。この写真は上方が北になるように撮影しましたので、 たしかにこの松の年輪は北側の方が広いことがわかります。 でも、そのまわりの松の枝はみな勝手な方向に伸びているようでした。  …… 「近頃のもんは年寄りのいうことをきかんようになった」 …… 切られた松のなげきでしょうか。



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