このレポートは、かたつむりNo.258[2004(平成16)6.20(Sun.)]に掲載されました

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大きな木の小さい頃の話(大きくなる木の小さいときの生活)
運営委員 鈴 木 照 治
 
 植物の種子が地に落ちてから、大きく育つまでには、数々のきびしい環境条件に耐え、 光を求めての競争にうち勝たなければなりません。日本における常緑樹林を構成する多くの樹種では、 種子が発芽するのは翌年の初夏以降なります。しかし、この時期には辺り一面緑に覆われて、 林内に散在する木漏れ日が芽生えの葉に当たる確率は低く、 生長するに十分な光合成生産量を確保するのは困難です。 陰樹と呼ばれる常緑樹の多くは、種子に貯えた養分の助けを借りて受光量の少ない環境に耐えなければなりません。 わずか1、2枚の小さな葉で、冬を越すことができれば、そして翌春の陽光がこの葉に射し込むならば、 そこではじめて、生活の基盤を確保することができるのです。しかし、それができるのは、 陰樹といえども幸運なごく一部の芽生えに限られ、多くの子苗はその年か次の年には姿を消します。 私達が自然林の中で見かけるカシやシイ、あるいはタブなど常緑樹の小さな木は、 幸運なそしてきわめて貴重な森の後継者(あとつぎ)といえます。さて、それなら、 ミズキに代表される陽樹と呼ばれる落葉樹は、どのように子孫を増やしているのでしょうか。 陽樹の場合も、地に落ちた種子が芽生えるのは翌年になりますが、春にはいち早く芽生えて、 周囲の草と競合(せりあい)ながら、陽光のふりそそぐ環境で急速に生長します。 初夏の草原を見ると、野草に混じってミズキなどの若苗が育っているのが見つかります。 芽生えて1〜2ヶ月の幼苗は軟らかでみずみずしく、どこから見ても草そのものです。 そして秋には周囲の草と同じ1〜2mの高さに達するばかりか、 茎も充実して少々の強風に耐える堅さになります。その次の年の春が来ると、 地表から離れた高い位置から新芽を伸ばし、草より優位に生長します。まとめていうと、 陰樹の芽生えは夏になり、陽樹の芽生えは春、多くの草の芽生えと同じというわけです。 一方、森の中に生える草の多くは多年草で、養分を少しずつ地下に貯え、 充実してから開花、結実するものが多く、彼らの育ちはさらにゆっくりになります。 陽樹の中にも、スロースターターがあって、芽生えた場所が明るい林内であれば、 多年草のように何年もの間、ある程度の日陰に耐えて生き続けるものもあります。
 一般に陽樹と呼ばれる落葉広葉樹(夏緑広葉樹林構成種)の幼苗が、 周囲の草と光をめぐって繰り広げる争い(相手より上に自分の傘を広げる競争)は、 単純に越冬芽の位置だけでは決められません。ミズキ、カラスザンショウ、クサギ、 アカメガシワなどの陽樹は、ガケや急斜面など過去に植生が破壊され、 覆いかぶさる木がなかったところに見られます。しばしば起こる小規模な破壊なら、 ヌルデ、ゴンズイ、タラノキ、キブシ、ニワトコ、マユミなどの低木がその位置を占めます。 これらはすべて林縁植物と呼ばれます。一方、コナラ、クヌギ、エゴノキ、イヌシデ、 ハリギリなど里山として安定した落葉樹林をつくる陽樹の芽生えは、 ある程度の日陰に耐えて日の当たる状況待ちができるようです。 このように、ひと口に陽樹といっても、生育の初期は、 草本類と生き残りを賭けてはげしく競争し、あるいは耐え抜いて、 草に負けない1〜2mの高さをクリヤするのに、あの手この手をつかっているのです。
 あたりに大きな木のない向陽地に芽生えた陽樹の子苗は、その後急速に生長し、 2年目には草を圧倒し、3年目には枝を四方に伸ばし、樹高2〜3m、指ほどの太さに生長します。 もし、道沿いにこういうところができると、伸びた枝が通行のじゃまになるので、 早いうちに刈り取らなければなりません。空き地でも、3〜4年ごとに刈り払わないと、 太く堅くなって手に負えないほどの茂み(藪=やぶ)になってしまいます。 古代から、人間の住むところの近くには、こうした場所がいたるところにできていたと想像されます。 道ばたに限らず、昔は川沿いにこうした茂みが続いていたと思われます。昔話の中にも、 「おじいさんは山に柴(しば)刈りに」という一節があり、ここでいう「柴(しば)」は、 庭の「芝(しば=イネ科の草)」と違って指ほどの太さの木を刈り取った薪(たきぎ)のことです。 昔の人々はこのように自然とたたかい、自然をたくみに利用して生活したきたのです。
 大きくなる木でも、小さい頃の育ち方は、種類によって、それぞれに違いがあります。 都市化が進み、昔はよく見られた野草が姿を消すのとともに、 大きくなる木の芽生えも次第に見つけにくくなりました。そして今、私たちの身のまわりから、 大きい木は、一本、一本その姿を消していきます。このとき、その木の芽生えや若木は、 ひと足先に消えていて、人々は、一本だけ残った最後の木が切られようとするときになってはじめて、 「その木は残したい」と思うのです(東京の多摩にある「トトロの木」のように)。 藤沢市内でも、この木はもうここだけにしかないという木が、何本かあります。
 (詳しくは、「藤沢の文化財シリーズ−樹木を訪ねて−」市教委発行、を見て下さい)
コナラの芽生え シラカシの芽生え
コナラの芽生え シラカシの芽生え

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