このレポートは、かたつむりNo.263[2004(平成16)11.14(Sun.)]に掲載されました

戻る

年輪を読む
運営委員 鈴 木 照 治
 
 11月4日は、天気がよかったので、午後、逗子の桜山古墳を訪ねました。 以前造られた「ふれあいロード」の通り道に、1999年春、県内最大規模の前方後円墳が発見されたので、 誰でも容易に見学できるようになったものです。しかし、10月9日の台風22号の強風で、 一号墳と2号墳の間が、多数の風倒木が道をふさいで、通れない状態になりました。 葉桜団地側の入口から、1号墳までは通れますので、バードウオッチングの人の後について行ってみました。 後円部の頂上は北の方の見晴らしが良く、逗子の市街地後方の池子山地のむこうには、 ランドマークタワーの上半分が見えました。2号墳へ通じる道は、倒れたスギの木の除去作業の途中で、 道をふさいだ倒木をノコギリで切った真新しい切り口に、年輪がハッキリ見えたので、写真に撮りました。 年輪を数えると30あるので、この木の樹齢は30年、太さは、直径約15cmです。 ふつう、良く育った木は、30年で直径が30cmに達するので、この木は育ちがよいとはいえません。 よく見ると、中心から10輪目までは年輪の巾が、約1cmあって、 植えてから10年はとてもよく生長したことがわかります。 ところが、10輪目から20輪目までは、急に巾がせまくなって、半分にも満たない約3mm、 20〜30輪目は、さらにせまく、約1mmしかありませんでした。 このスギの木が植えられた30年前、1970年代に始まる10年間は、 この木をとりまく環境がきわめて良好で、この木はすくすくと育ったであろうことは、 その年輪巾が10mmもあることから、容易に想像されます。 しかし、1980年代に入ると、急に育ちがわるくなるのは、おそらく、 隣り合って植えられた木と木の枝の葉先が重なって、十分な日光が当たらなかったためと考えられます。 そしてさらに1990年代に入ると、この木はまわりの木との生長競争におくれをとって、 すっかり直射日光の当たらない日陰にされてしまい、弱い光で、 やっと生きている状態におかれたものと思われます。 昔、林業が盛んだった頃は、木の生長に合わせて、1本おきに木を切って、間を透かせ、 残したどの木にも光が十分あたるようにする間伐(かんばつ)が行われました。 しかし、安い輸入材に押されて日本の林業は衰え、手入れの行われない山林が多くなりました。 この古墳をとりまく山林も、このような状態におかれたものと思われます。 ひと頃の日本が、外国の木材を買いあさるので、緑がどんどん失われるとの非難をうけたこともあって、 今の新築住宅にはあまり木材は使われなくなりました。荒れた山林は、弱った木がそのままに放置され、 たまに台風が来ると、ばたばたと倒れる木が続出します。 足の踏み場もない状態で、山道は通行不能になります。
 2号墳は桜山隧道のま上にあたり、JR逗子駅から歩いて10分、田越川の河口に近い富士見橋バス停から、 蘆花記念公園に上がり、郷土資料館の裏が入口になり、ここから2号墳までは通れます。 方形部分の端に展望台があって、西方が開け、正面に江の島が見えます。 どちらの古墳も、山林の中にあり、太い木を残して下草がすっかり除かれて、 むきだしの土の上に落ち葉がまばらに散る状態でした。2号墳の表面には、 葺石(ふきいし)という平たい石が散らばっていました。 巨大な前方後円墳を見る機会はあまりないと思われます。 安全に道が通れるようになったら、ぜひみんなで行きたいと思います。


戻る