このレポートは、かたつむりNo.264[2004(平成16)12.12(Sun.)]に掲載されました

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年輪を読む(その2)
運営委員 鈴 木 照 治
 
 2004年は、台風の多い年でした。中でも10月9日の、台風22号は、 藤沢にもこれまでにない爪あとを残しました。江の島奥津宮の、島最大のイチョウが、 地上1.5mのあたりで折れ、倒れかかって頼朝寄進の鳥居(島最古)を倒壊させたこと、 さらに中津宮の日本でいちばん古いとされるヒマラヤシーダの巨木が、根こそぎ倒れて、 かたわらの小さな家を傾けたことです。中津宮参道わきには、 輪切りにされた幹回り289cmのヒマラヤシーダの幹が置かれ、 テーブルほどもある切り口には、年輪がハッキリと見えました。 私の目の子計算 (速読法=野鳥の群を数えるときのような)では130ほどでしたが、一つひとつ詳しく調べた人がいて、 115+5(読みにくい部分の推定)ということでした。2004−115=1889の計算で、 1889(明治22)年まで確実にさかのぼれます。その頃、この場所に植えられた、 当時は珍しい種類の献木と見てまちがいないようです。このヒマラヤシーダ (ヒマラヤスギともいうマツ科の針葉樹)は、明治15年に日本に来た英国貿易商サムエル・コッキングが、 江の島に日本で三番目に古い植物園を造るに当たり、江の島神社に献木したものと伝えられていましたが、 年輪を読んで、はからずも、それが裏付けられたことになります。 ヒマラヤシーダの大木はほかにもありますが、江の島のこの木が、日本ではいちばん古いと思われます。 原産地はヒマラヤ地方ですが、日本では生長が早く、繁殖も容易で、 費用もかからず短期間で庭の景観をつくる針葉樹となるため、昭和初期には新設の洋式庭園に広く利用され、 多くの人に知られるようになりました。近頃は、色や形が多様で、 あまり大きくならない外来のコニファー(園芸品の針葉樹)が流行し、 早く大きく育つヒマラヤシーダは使われなくなりましたが、古い学校などの公共施設には、 人々の関心を呼ばなくなったヒマラヤシーダが、今でも生長を続けています。

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