このレポートは、かたつむりNo.276[2005(平成17)10.9(Sun.)]に掲載されました

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彼岸花と秋の訪れ
運営委員 鈴 木 照 治
 
ヒガンバナ  よく実った栗の収穫を伝えるニュースが流れ、今年は平年より5日遅いと解説されました。 確かに、今年の残暑は、いつもより長かったと記憶します。このぶんでは、 紅葉も遅くなるのではないか、と思われますが、標高2000mの亜高山帯では、 平年並みに紅葉が始まっているとTVは伝えています。去年もおととしも、藤沢近辺の紅葉は遅かったので、 この秋はどうなるのか、確かめたいと思っています。ところで、毎年、 秋のお彼岸にきまって咲くヒガンバナが、なぜ、桜の開花のように、早い遅いがないのか、については、 開花が気温に左右されるのではなく、地温(地中温度)によるためと前にも書きました。 藤沢をはじめ、東京近辺でのヒガンバナの開花は、例年、9月下旬から10月上旬にかけてです。 今年もこのとおりになりました。しかし、数十年前の記憶では、 彼岸の入り(9月20日)には満開になっていたように思います。つまり、近頃は、 5日ほど遅いのではないかという気がするのです。 シロバナヒガンバナ さて、ヒガンバナの群生地に行くと、同じ群落の中で、場所によって開花時期に多少のずれが見られます。 一般に、木かげの方が早く、日なたがあとになります。直射日光のもと、 球根がむき出しのところでは数日遅れて開花します。私の家の庭のはシロバナヒガンバナですが、今年の場合、 9月18日の夜、少し雨がふって、翌19日には地面に黄緑の芽先がのぞき、20日午後3時すぎ、 猛烈な豪雨のあと、一気に花茎をのばし、22日には開花しました。 これは例年より5日ほど遅い開花になります。
10月2日現在で満開状態です。このあと数日で花が枯れると、 やがて地面から濃緑色の葉がぞくぞく生えて茂みをつくります。 ひと目でそれとわかる特徴のあるこの葉の茂みは、秋の終わりから翌年の初夏まで維持され、 いつのまにかなくなります。「葉見ず花見ず」(葉のあるときは花が見られず、 花のあるときは葉が見られない)とは全国数え切れないほどあるヒガンバナの異名の一つです。 若い頃聞いた年寄りの話に、六十(ロクトー)の十十(ジュットー)というのが秋植え球根の作り方で、 植え付けが10月10日、堀り上げは6月10日がよいというのです。今の園芸書では、 「10月下旬に植え、地上部が枯れたら掘り上げる」と書かれているので、 これだと10日ほど後ろにずれます。これにも、温暖化が影をおとしているのでしょうか。
 郊外を歩いていると、昔からある家の庭に、毎年元気よく咲く球根の花を見ることがあります。 庭の一角で、球根をふやしながら長い年月持続させるには、その植物の特性をよく理解することが必要で、 植物を愛する気持ちが伝わって来ます。チューリップやラッパ水仙は、毎年初夏には掘り上げて乾燥し、 夏は涼しいところに貯蔵します。しかし、丈夫なヒガンバナや日本水仙は、 高温多湿の日本の夏に耐えられるので、そのまま数年堀上げずに増殖させることができます。 昔、鎌倉の有名なお寺で、西洋水仙をたくさん咲かせていましたが、その頃は、夏には堀上げて、 雨を避ける北側の軒下に貯えているのを見ました。そうしないと春にきれいに咲きそろわないのです。 今では、植えたまま夏をのりきることのできる日本水仙が初冬から、庭をかざっています。 チューリップやラッパ水仙、それにユリなどは秋に植えても春まで地上に葉を出しません。 しかし、ヒガンバナや日本水仙は秋の終わりに葉をのばし、冬中緑の葉を茂らせます。 この性質は、伝統的な日本の農村をとりまく環境にきわめてよく適合しています。 打戻ヒガンバナ群落 冬、緑の葉を持つことは、落葉樹の下でも生活でき、夏は休眠することで、 茂った夏草が刈り取られる土手でも生き残り、有毒で、 野ねずみの食害を防いで土手を守るために植えられたり、飢饉(ききん)※の際は、 救慌(きゅうこう)植物※として利用されるということから、各地に群落ができました。 藤沢にもヒガンバナの群生地があります。市の北西部、遠藤打戻(うちもどり)の小出川ぞいの土手に、 帯状に続く大群落で、毎年彼岸頃には大勢の見物客が訪れます。近くにバス停(矢崎)もありますが、 便が少ないので、慶応大学入り口から歩けば10分です。 打戻ヒガンバナ群落 昔の農村風景をイメージするよい材料ですから、一度は見ておくことをおすすめします。 もう一つ、藤沢一丁目、御殿橋西詰から川沿いに入ったところに、最近見所ができました。 ただ、網目フェンスとアジサイの向こう側なので、よくのぞかないと見えにくいところです。 毎年秋、TVで紹介され、観光バスでにぎわう埼玉県日高市高麗川の巾着田は、 見渡す限り真っ赤なヒガンバナの大群落に圧倒されますが、 各地に見られるヒガンバナの群落は昔の農村の名残を示す遺存植物といえます。



 ※ 昔、冷夏の年はイネが不作で米不足となり、多くの人が飢えで苦しみました。食べ物がないとき、 飢えをしのぐために食べたのが、救慌植物(ヤブカンゾウなど)です。 ヒガンバナの球根にはリコリンという猛毒がふくまれるので、そのままではとても食用にはなりませんが、 昔、飢饉で食べがないときには、すりつぶして水にさらし、上澄みを流して、 底に沈んだデンプンをとることを、17回繰り返せば、毒抜きが完了し、のり状の葛湯として食べられる、 四国のあるところでは、今でもこうして団子をつくるということです。水にさらす回数は、なぜ17回なのか、 それは、まちきれずに16回さらしたものを食べて死んだ人がいたという悲しい言い伝えがあるのだそうです。 スズランやスイセンも有毒で、家畜は食べません。 牧場の一角に残って花を咲かせる姿が外国の絵本に出てきます。 一方、日本のヒガンバナは有毒のためか、大人は、小さい子が花を手にするのを嫌って、 縁起の悪い花だと教えます。にもかかわらず、お寺や土手には、きまったように植えられたのは、 万一の飢饉に備えた昔の人の知恵だったようです。

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