このレポートは、かたつむりNo.280[2006(平成18)1.8(Sun.)]に掲載されました

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スダジイの森
運営委員 鈴 木 照 治
 
 「環境」が新しい時代を説くキーワードといわれています。「環境にやさしい」のが、 企業にとっては欠かせない条件になりつつあります。 過去100年にわたって、人間社会が、 自然に対して過激な作用を及ぼしてきたことへの反省をこめてのことばです。 産業革命に始まる近代科学の恩恵により、私たちの生活は豊かになった反面、 温暖化現象のような環境変化をもたらしてきたといえるでしょう。 大木神社の椎の森 これからの私たちの生き方を考える上で、 科学が人間社会のシステムに組み込まれる以前の人々の生活と対比させることが、 一つの示唆となるのではないかとふと思いました。そのわけをお話します。
 昨年の愛知万博では、環境との共生を謳ってさまざまな展示がくりひろげられました。 好奇心につられて二度目に行ったバスツアーのおり、 専門ガイド付きで「東海道を歩く旅」というのがあることを知って、さっそくこれにのってみました。 沿道には古くからの神社、仏閣があり、植物の観察もできました。ちょうど、 以前少年団で泊まった鈴鹿を歩くところでした。石薬師の宿場近く、大木神社* の椎の森は、昭和54年鈴鹿市指定天然記念物で、100m四方もある大きな鎮守の森です。 藤沢にも椎の木の森はありますが、これほど大きくはありません(竜口寺裏山、江ノ島)。 唱歌「夏は来ぬ」の作詞者、佐々木信綱記念館も見学しました。
佐々木信綱碑 {卯の花のにおう垣根にほととぎすはやも来鳴きてしのび音もらす夏は来ぬ}
 佐々木信綱は鈴鹿に生まれた明治時代の歌人で、 現代歌人俵万智さん(サラダ記念日の)の先生佐々木幸綱氏のお祖父さんです。 記念館の隣は信綱の生家で、卯の花(ウツギ)の原木もありました。 においのないウツギの「におう」は、鼻で感じるにおいではなく、花が、 あたり一面に咲きさかっている様子を表しています。「夏は来ぬ」の歌詞は、他に例のない、 和歌を連ねた形式になっています。ちなみに、信綱は5歳のときに歌を詠み人をおどろかせたということです。 テレビでおなじみの水戸黄門(光圀)も5歳で歌を詠んだといいます。私はとてもそうはいきませんでしたが、 5歳の頃、百人一首をほぼ丸暗記していました。学校に行く前に身につけた記憶力のおかげで、 その後ずいぶん得をしましたが、反面、その分怠け者になりました。努力する人には、かなわないのです。 創造力は、信綱や俵万智さんのようには鍛えられなかったので、今でも創作は苦手です。
 100年前、東海道のこの辺りでは、初夏にはホトトギスが鳴いたのだと想像しながら、足を進めました。 昔の人々が、自然と共に生活していたことがしのばれて、万博とは違った感動を体験する旅でした。


神々とともに、源範頼(頼朝の弟、義経の兄): 知恵と武芸に秀で、当地の尊崇を集め祀られている。 なお、石薬師寺の近くに範頼ゆかりの「蒲桜」、蒲神社(祭神範頼)がある。

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