このレポートは、かたつむりNo.313[2008(平成20)05.25]に掲載されました

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江の島に残るテリハノイバラ
運営委員 鈴 木 照 治
 
テリハノイバラ江の島
■テリハノイバラ江の島
ノイバラ天王森
■ノイバラ天王森
テリハノイバラ町田
■テリハノイバラ町田
テリハノイバラ鵠沼
■テリハノイバラ鵠沼
 また、藤沢の植物の世界に変化が起きているという話になります。 一昔前ならどこにでも自生していた「野ばら」の仲間で、テリハノイバラという野ばらがあります。 湘南海岸の野ばらは、主にこの種類でした。 内陸部に多いノイバラにくらべて、花はやや大きいが、花の数ではやや少ないかなと思うくらいで、 形だけではノイバラとほとんど変わりませんが、一目見てはっきりわかる大きな違いは、 ピカピカに光るつやのある葉をつけていることです。 江の島の岩がちの急斜面に、豆粒ほどの小さな葉をかがやかせて、生き生きと生育するテリハノイバラを見ると、 この種類の本来の生育地が海岸荒原であることがわかりますが、海から相当遠いところでも、 向陽の岩場に生えていることがあります。 バラ属の赤熟する果実は、鳥に食べられるので、広範囲に散布されるためでしょう。 また、海岸砂丘後背地低木林を構成するメンバーにもなっているので、昔は鵠沼にも多かったでしょう。 江の島西浦のガケで見たテリハノイバラは、花をたくさん咲かせていました。 花の大きさは、ノイバラよりやや大きく、庭に植えても、観賞できるくらいです。
 Rosa Wichuraiana Crep. (R. Luciae var. yokosucensis Franch. et Savat.)
 学生時代、この学名を読み間違えてウクライナ地方のバラと思い込み、 同じ種類がヨーロッパにもあるのかと首をひねったのを思い出します。 ウィチュレー氏のバラ、と命名した方がフランシェ氏とサバチエ氏、 いずれも幕末の歴史に登場するシーボルト(実は植物学者として知られる)と同時代の人で、 日本の植物を調べて命名した……より優先され、テリハノイバラの多い横須賀の地名は生かされませんでした。 ダーウィンやモースより少し前の、18世紀後半から19世紀前半の、プラントハンターによる探検と新種発見競争の時代の話です。 科学の発見の歴史は、大河ドラマを見ているような思いを私にさせてくれます。
 園芸バラには多くの原種がからんでいます。 よく知られているのは、日本のノイバラが園芸バラの原種の中で重要な位置にあることですが、 テリハノイバラも園芸バラの原種の一つです。 きわめて多数あるバラの品種の中で、テリハノイバラと全くといってもいいほどそっくりな茎と葉をもつ優良品種に、 フランソワ・ジュランビルという、古いつるバラがあります。 花径3cm、ピンクの万重咲で房咲になります。花をつけていない時期には、テリハノイバラと全く区別がつきません。 このバラは、あらゆるバラの品種の中でも抜群の耐病性もっています。 これほど病気に強いバラは、このあたりの野生種を除けば、見たことがありません。 庭木と同じ、年に一度の手入れで済みますから、昔から和風庭園にも利用されてきました。 そこで、実物の写真を撮りたいと、以前その生垣のあった家を訪ねましたが、建てかえられて生垣はなくなっていました。 また、何ヵ所かのバラ園に行って見ましたが、残念ながら、どこにも栽培されていませんでした。 古典品種に属し、グランドカバーや垣根向きの品種なのでバラ園にはないのでしょう。 古くからの住宅街を歩き回れば、見つかるかもしれません。
原種と呼ばれるバラ属野生種の多くは、園芸種のバラと容易に交雑して交配種が生じますが、 よい新品種が生まれる確率は極めて低く、たとえ千株育てたとしても、1株得られればよいほうです。 それでも長いバラ改良の歴史の中で、野生種との交配が画期的な効果を生んだ場合は、少なくはありませんでした。
 数十年前の湘南海岸では、いたるところに野生のテリハノイバラ見られたと思われますが、 今では江の島以外では、ほとんどその姿を見ることが出来ません。 紹介した鵠沼の写真は、蓮池近くの空き地に隣接した新しい住宅の端でした。 園芸つるバラの先祖となるテリハノイバラの生育地をできるだけ残したいものです。


テリハノイバラ江の島 バラ原種説明版 ノイバラ原種見本大船
■テリハノイバラ江の島 ■バラ原種説明版 ■ノイバラ原種見本大船
テリハノイバラ説明 テリハ系園芸種 ツルバラ園芸種
■テリハノイバラ説明 ■テリハ系園芸種 ■ツルバラ園芸種




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