このレポートは、かたつむりNo.316[2008(平成20)08.24]に掲載されました

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ハマナデシコ
      ―半世紀前の江の島にはあったが……
運営委員 鈴 木 照 治
 
ハマナデシコの葉
■ハマナデシコの葉
ハマボッスのロゼット江の島
■ハマボッスのロゼット江の島
ハマナデシコ藤色花荒崎
■ハマナデシコ藤色花荒崎
ハマナデシコ北鎌倉
■ハマナデシコ北鎌倉
ハマナデシコ熱海
■ハマナデシコ熱海
ハマナデシコ剣崎
■ハマナデシコ剣崎
ハマナデシコ藤沢
■ハマナデシコ藤沢
 伊豆や房総の岬に行くと、きれいな花の咲く夏でなくても、必ず目に触れるのがハマナデシコです。 秋の終わりから、翌年の初夏まで花のない時期の、 エメラルドグリーンでつやのある線形の葉を放射状にぎっしりつける姿は、 岩の露出する荒れ地のような海岸に、緑の宝石のようにかがやいて見えます。 このハマナデシコが、いつの頃からか江の島から姿を消したままなのは惜しいことです。 三浦半島や伊豆、房総ではまだ残っているのですが、江の島ではよく似たハマボッスのロゼット (冬のタンポポのように地面に接して多数の葉を放射状につける越冬型)はかなりの数、見つかりますが、 幾度となく訪ねてみても、探し求めるハマナデシコの姿はありません。
 ハマナデシコは、典型的な海岸植物です。潮風の激しく吹き付ける岩場の、 強風のため樹木の育たない風衝草原に群生し、 夏の日盛りに藤紫の涼しげな花を群がるように咲かせる様は見事というより他はありません。 まるで高山のお花畑か手入れのよい花壇を見るようで、自然の巧まざる演出に魅せられる思いです。 一つの花は直径1cmそこそこの小花ですが、十数個集まって傘状に群がって咲く様は群を抜いて美しく、 夏の海辺の草原を飾ります。ハマナデシコの正式和名はフジナデシコです。 その名の通り、多くは藤色の花をつけます。花色には巾があり、昔あった江の島系は藤色ですが、 房総南端、野島崎自生のものは花色(牡丹色、ローズ色ともいわれる濃ピンク)で、犬吠埼のは、 白に近い藤色(ライラック色)です。
 さて、ハマナデシコは日本で昔(おそらく江戸時代)から栽培され、改良されて、切り花に使われていました。 昔(といっても昭和30年代まで)、旧盆の頃花屋の店先にエゾギクとともに出ていました。 今でも園芸店では「夏紅なでしこ」の名で、園芸化したハマナデシコの種を売っています。紅白2色があります。 あるとき北鎌倉で、線路わきの金網沿いに植えられた草花の一角にハマナデシコを見つけました。 図鑑によると園芸種は自生種より背が高く葉も細長いとありますが、線路わきのそれは花色もうすく牡丹色で、 以前房総の野島崎で見た野生のものとそれほどの違いは見つかりませんでした。 さらに熱海の市街地でも、三浦半島剱埼近くの民家でも、石段のすきまに大株になって咲くハマナデシコを見つけました。 どちらも、植えたものではなく、こぼれ種から育ったものと思われました。 ナデシコ属の殆どは宿根草で、秋も早いうちに種を蒔いて苗を育て、秋の終わり頃定植すれば翌年花を咲かせます。 もし春に蒔いても、その年には咲きません。 ところが、切り花用のハマナデシコは、早春じき蒔きして盛夏に花を咲かせることができます。 しかも、花を付けたら、根元に近いところで下葉を残して切り戻すと、秋にふたたび花を見ることが出来ます。 今でこそ一年中花屋に切り花用の多様な花があふれていますが、 30年前までは季節によって出回る花は限られていました。 「紅なでしこ」が活躍したのは、江戸時代から昭和の前半に至る、古い時代のことだったのです。
 半世紀前、片瀬中学校の生徒が、江の島で見つけたハマナデシコ(フジナデシコ)が、 今はいくら探しても見つからないといいましたが、藤沢から全くなくなったわけではありません。 私は市内で2ヶ所見かけたことがあります。1つは石川の佐波神社の近くで、7、8年前(今はありません)、 もう1ヶ所は本町常光寺近くで去年のことです。 どちらも小路ではあるが日の当たる舗装道路の道ばたで、岩の海岸とよく似た環境でした。
 ハマナデシコの生活の本拠は日本中部から南部の海岸ですから、江の島海岸は、まさにふるさとです。 日当たりのよいところなら、線路沿いなどのきびしい環境でも育つほど丈夫で、しかも春蒔いて夏を彩る簡便さは、 海岸美化に打ってつけの特質です。潮風のまともに吹き付ける海岸に花壇を作っても、大抵の花はうまく育ちません。 土の表面を瓦礫やバークで覆い、その隙間にハマナデシコを植えて根つかせ、他の海岸植物ともども、 海岸緑化にもっと利用することを考えてはいかがでしょうか。 このすばらしいハマナデシコが、江の島の観光道路のまわりに見られないのは残念でなりません。
ハマナデシコ石川
■ハマナデシコ石川




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