「落葉」のしくみが生き残りのカギ | ||||||||||||||||||||||||
運営委員 鈴 木 照 治 | ||||||||||||||||||||||||
このように、「落葉」は植物進化の歴史の上で、とても重要な機能の獲得だったということがわかります。 それは、自分の身体の一部を切り離すというしくみです。この機能は動物にも見られます。 「トカゲの尻尾切り」という喩え(タトエ)があります。 組織ぐるみの犯罪を、末端や現場担当者に罪をかぶせて、上層部が追求をかわそうとする、 おきまりのサスペンスによく使われます。 トカゲが、強大な敵に襲われて、尻尾を自ら切断すると、切り離された尻尾は、ピンピンとすばやくはねまわり、 襲撃した鳥などの、一瞬の注意をそこに集め、本体のトカゲは、そのすきにすばやく逃げます。 切れた尾は、しばらく動き続けます。こどもの頃見ただけですが、記憶に残っています。 自分から、からだの一部を切り離して、難をのがれる行為は、カニのはさみやタコの足先など、ほかにも知られています。 いずれも、非常事態をのがれる最後の手段です。この、「自切」という生態を、ごくあたりまえに、くり返しているのが、 植物の世界です。「落葉」現象が、まさにこれなのですが、 そこには、実にたくみな仕掛けがあることに興味を持ってくれることを望みます (経済不況で、会社が、損失の出る効率の悪い部門を切り離し、 人員の削減を伴う再構築を図るリストラクチャリング(リストラ)が、昨今の流行語になりました)。 植物進化の長い歴史の中で、落葉は、まず、枝ごと枯れ落ちることから始まったこと、はじめは、 かなり重量のある大枝ごと落ちていたものが、より小さく、 より軽い小枝のうちから母体から離れ落ちるように進化した――その方が、植物体全体から見れば効率がよい―― 周囲の枝葉の陰になって日光が届かず、光合成の効率のわるい部分を、いかに早く見切りをつけて切り捨てるかは、 植物進化の上では、重要なポイントになります。これは落葉樹などない太古の温暖湿潤な熱帯林でもいえることです。 年間を通して適温、適湿に恵まれた古代の超大陸(パンゲア)が分裂して離れた一方が、 乾期や寒期に見舞われる大陸(ゴンドワナ)になったとき、動植物は大きく変容したのです。 昆虫も、完全変態をするチョウ、ハチ、甲虫のような新型が生まれました。 百年前に大陸移動説が出されたときは注目されなかった大陸の移動が、 半世紀後に登場するプレートテクトニクスでは中心となり、今では教育番組のビデオにもなったのを、 夏活動のバスの中で見ることになったわけです。 ここで「落葉」について、改めて考えて見ましょう。植物の、新しく伸びた枝の先端が、細かく枝分かれするにつれ、 しだいに成長が遅くなり、やがて伸びなくなります。あとからその上に伸びた枝が広がって光をさえぎると、 下の枝葉は光合成ができなくなって、養分を本体に送ることが出来なくなります。 その枝葉は、植物本体にとっては、やっかいな「お荷物」になるわけです。 栄養分を本体に送らなくなった枝葉は、自分自身を生かすための栄養も造れなくなり、細胞がその形を保ったまま、 中の生きた(細胞質)部分だけが死んで、水の入ったままか空洞になり、枝葉全体の形はそっくりそのままで、枯死状態になります。 死んだ部分には、水は供給されないので乾燥しミイラ化します。 太古の樹木は、ミイラ化した大枝がいつまでも本体に着いたままでしたが、時代が進むと、 枝葉の先端に近い特定の部分に、他に先立って「自死する部分」が形成され、 そこから先が枯れ落ちる特性を持った植物が現れて、その効率のよい生き方で、古いものにとってかわります。 この植物なら、寒さが来たときには、一斉に枝葉の先端を落とし、休眠状態になって冬を乗り切ることが出来ます。 メタセコイアは、古い時代の植物ですが、地質時代のもっとも現代に近い第四紀のはじめ頃(230〜170万年前)まで、 日本各地に広く分布していたことが化石の様子から知られています。 現代の植物で落葉のしくみを説明すると、葉のつけ根の、茎と接する部分の何層かの細胞が、葉の部分に先立って枯死し、 細胞の中身が抜けて空洞化(コルク化)して、そこから先の葉の部分より先に乾いて、はがれやすくなり葉が落ちるのです。 葉の落ちたあとの茎の側のはがれたあとは、コルク層が樹皮と同じ働きをして内部を護ります。 この「自死する部分」は「離層」と呼ばれます。辞書によれば、 「葉、花、果実が落ちるさいに、前もって基部にできる特殊な細胞組織。落ちた跡にコルク組織が発達し、表面をおおう。 Abscission layer(日本語大辞典)」 となります。なお、メタセコイアのように、葉をつけた小枝ごと落ちる植物の場合、 離層のできる場所が小枝のつけ根にあって、そこから先が落ちます。 では、古くなって、役に立たない葉が、そのままいつまでも枝についたままだと、どういう不都合が起こるのでしょうか。 葉が光合成をしなくなると、その葉を生かすためには、よそから栄養分を補給する必要があります。 そのことは、植物体全体から見れば、負担になります。 そうならないために、働きの衰えた葉は、自ら進んで離層を造り、母体から分かれるのです。 つまり、木が葉を切り落とすのではなく、葉が自ら木から別れるのです。 冬に、葉が落ちない常緑樹でも、その落葉は、同じ仕組みです。しかし、その様子はさまざまです。 ユズリハのように、新葉が五月に出揃うと同時に、古い葉がいっせいに散るのもあれば、 ツバキやシイでは、2年、3年と古い葉が残っています。 クスノキでは、新葉が充分広がってしっかり養分を生産するようになるのを待って、大部分の葉が散りますが、 一部の葉が散らずに残っていることもあります。松(クロマツ)の場合は、古葉が4年ぐらい残るようですが、 庭木として美しさを保つためには、新葉がすっかり充実した7月下旬以降、 込み合っている古い葉をむしり取ってやると、木はとても元気になります。 「麦秋」という季語(季節を示すことば)があります。 麦の穂が実って麦刈りが行われる6月の頃ですが、同じ頃、竹がいっせいに落葉するので「竹の秋」という季語もあります。 この頃、山を歩くと、いちめんの落ち葉に出会います。 よく見ると、常緑樹の落ち葉です。常緑樹の落ち葉は、温暖で雨の多い時期ですから、大量の落ち葉は、 たちまち分解が進んで姿を消し、一、二週間もすれば、一番上につもって、からからに乾いた落ち葉だけが残ります。 こうして落ち葉は分解して土に混ざり、その養分が根によって吸収されて植物が育ちます。 このように落葉は、自然の生態系の中で、リサイクルシステムにしっかりと組み込まれているのです。
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