10月の活動は、遠藤の野外観察で、うす曇の天候も幸いして、気持ちのよい一日になりました。
どんな野外観察が出来たでしょうか。
今から40年前、昭和45(1970)年の8月、私は遠藤篠窪谷戸のあたりの植生調査をしていました。
今では慶応大学湘南キャンパスの北に当たるこのあたりは、その頃人里離れた辺鄙()な場所で、
30m四方くらいの竹林があり、それをとりまく常緑林とスギなどの植林がありました。
常緑林は藤沢ではその頃すでに珍しく、県下では数少なくなっていたシラカシ林でした。私の画いた植生図では自然林になっています。
今では藤沢にシラカシ林は、この場所を含めて一ヶ所もありません。
(県下で3ケ所、大和市泉の森、横浜市上白根、川崎市東高根の各自然公園に残るのみです)
藤沢にも、1〜2本残るところは何ヶ所かあり、ここ篠窪にも、竹炭を配ったすぐ脇に1本、成木がありました。
自然のシラカシ林はなくなりましたが、代わりに見事なシラカシ林が、すぐ近くに復元されています。
慶応大学を取り巻く植栽による常緑林がそれです。
ここでは、宮脇昭さんの処方箋に従って植林が行われ、わずか20年で見事な自然林構成種による常緑林が育ちました。
こうして出来た森林は何の手入れもせずそのままにしておいても、ずっと自然林として持続できるのです。
もっとも、森林の外縁では、ほうっておくと、枝が外へはみ出して伸びるのでその部分だけ刈り取る必要があります。
また、つる植物がからみつくので、それも刈払います。
管理の手間はそれだけですが、慶応では、森の外縁にツツジのような低木を植えて刈り込み、林縁を美しく整えています。
これには、手間とそれなりの費用がかかります。
実は藤沢市では、もう40年ほど前からシラカシ林を養成しているのですが、あまり知られてないのは、面積が小規模で、
育ちもよくないためです(石名坂ゴミ処理場や大清水スポーツ広場)。
そこでも近年は、ようやく木も大きくなってきましたが、ずっと後から作った慶応のほうがより大きな森に育っています。
直根が地下の保水層に達するまでは、水切れの起こらないように渇水期に水を補給する必要があり、
緑地の巾が10m以下ではしばしば渇水状態になりがちです。
巾5m程度の空き地でも、湧き水の近くなら、自然林が作れます。
神社や寺院で、さほど広くはない自然の森が出来ているのは、例外なく湧き水のあるところです。
篠窪谷戸は、小出川の水源にあたり、道路から竹炭焼き場に入るせまい小経()
の途中にその湧き水があったのをおぼえています。
この10月に「COP10」が日本で行われ、そこでは「生物多様性の保持」がテーマになり、人間と共存する自然、
持続可能な生態系として、「里山の自然」が紹介されましたが、その基本になるのは、
日本にこれまで受け継がれてきた鎮守の森の文化です。
農業という人間生活と共存してきた里山の復元に関心が寄せられ、ビオトープづくりの奨励される昨今ですが、
その基本になるのは自然です。藤沢に見られる自然林としては、江の島の周囲と龍口寺裏山ですが、いずれも、
急斜面の立ち入りできないスダジイ林です。内陸部の平地に成り立つシラカシ林は、藤沢にはありません。
高倉諏訪神社の裏と篠窪竹炭焼き場の一角にその痕跡(1〜2本のが残る)
が認められるだけになりました。篠窪にあったあたりは、いまでは昔の10倍もの面積に広がった、
孟宗竹林に埋まってしまったのです。
草も木もないさら地なら、慶応大学のように、20年でシラカシ林をつくることができますが、それには多くの人手が必要です。
篠窪でも、竹を1本1本切って、根を取り除き、かわりにシラカシの苗を植えていけば不可能とはいえないまでも、
大変な労力と時間がかかります。
秦野の出雲大社分祀では、自然林の復元に取り組んでいて、小中学生にもわかるイラスト入りのパンフレットをわけてくれます。
ドングリを鉢に蒔いて苗を育て、自然に返すために植え付け、根付くまで水やりの世話を絵で解説しています。
多くの自然公園では、里山の復元にも取り組んでいて、新林公園ではほぼ出来上がって、今は保持のためのパトロールが行われ、
大庭親水公園近くの斜面では今、ボランティアが里山回復の作業をしています。
大庭神社裏の湧き水のある周囲は、シラカシの自然林が復元されればすばらしいと思います。
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