どんなときにも学べる、いつもそう思います。寺田寅彦の随筆の一節「天災は忘れられた頃やってくる」は、あまりにも有名ですが、
私にとっては、中学時代の先生の、授業の合間に話された余談が今でも忘れられません。
1946年(戦争が終わった次の年、私は中学二年)、担任の先生が地震の専門家で、地震についての基礎知識を話してくれました。
……「地震は初めに小さなゆれが少し続く、これを初期微動という。
続く大きなゆれは主要動、大ゆれが始まってから最大のゆれになるまで10秒以上かかることはめったにない。
大ゆれが続くと家がつぶれるので、その前に机の下などに身をかくす。大地震では、立つことも歩くこともできない。
ゆれがおさまっても、再びゆれてくるので、その間により安全な場所に移動する。その際、火を消し、ガス元栓をとじ、電源を切る。
地震が終わっても、海沿いの低地は、津波のおそれがある。早ければ数分から数十分でやってくるので、いそいで高いところに逃げる。」
……こんな内容を、だれもが興味をもつようにわかりやすく具体的に説明してくれました。
今では理科で教わることですが、大人になっても覚えているでしょうか。
中学三年になってから、生物部で知り合った石井君と誘い合って二年のときの担任だったK先生の家に行きました。
鎌倉八幡宮の1km南に大きな石造りの一の鳥居があります。その南側一帯は、当時広大な大木の松林でした。
鳥居のある大通りから少し南に行って、西に細い道を入ったさびしいところにとても大きな、かわら屋根の一階建てがあり、
古い板塀をめぐらせた門の柱には「東京大学地震研究所」と縦書きしたやや大きな表札がありました。
案内を請うと先生が出てきて、「ヤアよく来た。あがれ」といわれ、庭に面した畳の部屋に通されました。
挨拶を済ませて、何を話してよいかわからぬまま、「地震計を見せてください」というと「こっちへ来い」と低いところにあるコンクリートの部屋に行きました。
「これが日本で一番初めに地震を記録した大森式地震計だ。今は使っていない。今使っているのはあれで、200倍も精密に記録される。」
つぎの部屋には、地震計で記録した用紙が保管されていました。少し離れたところで薪割りをした地面のわずかなゆれまで記録されるのを見せてくれました。
当時の記録は油を燃やしたすすを紙にに付け、地震計の針先が引っかく記録をニスを流して固定するものでした。
このたいへん手のかかる観測を、先生はずっと続けて居られたのです。
じかに聞いたことと、じかに見たこと(先生の余談と見せてもらった地震計)が、私にとっては、その後に積み重なって行く、
地震関係の学びの基礎を形作ったのは確かです。
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