このレポートは、かたつむりNo.354[2011(平成23)04.17]に掲載されました

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記憶の書き込みと読み出し
運営委員 鈴 木 照 治
 
 記憶力は、加齢とともに衰えるといわれています。 記憶そのものは、多少うすれていくかも知れませんが、そんなに失われるものではないようです。 覚えることと、必要に応じて思い出すことの両方を総合したものが、記憶力になるのでしょうが、 そのピークは、5〜6歳頃で、それからしばらくの間は、高い能力が維持され、やがて少しずつさがっていくといいます。 昔から、「習い事は、数えの6歳から」ということで、それぞれなにかしら稽古(ケイコ)をしました。 学校に行くようになると、覚えることが山ほど増えて、そのすべてを覚えることはとても難しくなります。 社会に出てからも、記憶力は重要です。 勉強や仕事、それに日常生活に追われると、それ以外のことに興味や関心をなくし、記憶力が使われなくなって、せっかく覚えた知識がうずもれてしまいます。 そうすると、非日常のできごとに出会っても、注意を引かず(気づかず)、関心も持たずに見過ごしてしまいがちです。 しかしこの、「気付かないこと」は、気付かれないことと同じくらい、人にとっては悲しいことです。 パソコンに一度書き込んだ記録がそのパソコンには消えずにずっと残ることは知られています。 消しても、特殊な技術を使って回復させることもできるそうです。私たちの記憶も、一度覚えた記憶は、一生残るといわれます。 ただ、いつでも都合よく思い出すわけにはいきません。年をとると、何かのときに、ふと子どもの頃の記憶がよみがえります。 それも、かなり詳しく思い出せるのです。
 中学二年のときの数学のY先生(あだ名はTちゃん)の関東大震災(1923年9月1日)の話が面白いとの評判で、 「Tちゃんは地震のときに腰をぬかしたそうだ」「それで、どうやって逃げたんだい?」「さァ…それも聞いたようだが…、覚えてないな」。 私たちのクラスでも先生にせがんでやってもらいました。身ぶり手ぶり、表情たっぷりの面白さでしたが、あとで、 別のクラスのN君(あだなはハカセ、父君は本物の博士)が、Y先生が私たちに話されたのと一言一句同じ話を再現するのにはびっくりしました。 どのクラスにも全く同じことを余談で話す先生も先生だが、一度聞いただけで、それをそっくり演ずるハカセのものまねにも驚嘆しました。 そんなこんなで私もY先生の震災体験記の一部を思い出します。……そのとき私は家の中にいた。 ものすごいゆれで腰を抜かしたように立つことも歩くこともできない。 ようやくはいずるように家をぬけて大通りに出たが、電柱は倒れ、電信づるはいたるところにのさばけていて通れない。 やっとのことで土手に上った。みんなも同じようにして集まってきた……
 それ以前に聞いていたK先生の地震の話と体験談が私の頭の中でしっかりと結びついたのかもしれません。 そうでなければY先生の話はただの笑い話になってしまったでしょう。N君も別のクラスでK先生の話をよく聞いていたと思います。

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