古代の道を歩くツァーに参加しました。
ヤマトタケルや八幡太郎義家の通ったという奥州古道*は、今の横浜線淵野辺駅から、小田急多摩線唐木田駅へぬける古代からの道です。
淵野辺駅のあたりでは、県道57号線と一致して駅のすぐ南側で線路と交差しています。
そのまま北東に進み、中世に勢力を振るった淵野辺氏館跡あたりから県道を逸それて北へ向きを換え、両国橋で境川を越え、箭柄やがら八幡宮に行きます。
一般に八幡宮は戦いくさの神様で、戦勝祈願(今は試合に勝つ)に詣でるのですが、この神様は、昔、戦を止めさせたという言い伝えのある平和の神様だそうです。
少し変わったつくりの社殿のうらに広がる森に入ると、いくつかの野草の間にタマノカンアオイ(多摩地方地域特産種)の群落がありました。
昨年、小田急多摩線黒川駅近くの汁守(しるもり)神社の森で、珍しいイチリンソウの群落を見たとき、そのすぐ近くにタマノカンアオイが一株あったのを思い出しました。
昔は、もっとあちこちに見られたと思うのですが、今では社寺林のような自然が保たれる場所にしか残らないのでしょう。
ちなみに、藤沢では片瀬の新林公園の裏山に近縁種のカンアオイ(カントウカンアオイ)が見つかっています。
古道は箭柄八幡宮の西側を通り、桜美林大学の真ん中を北へ抜けます。
やがて、旧戦車道にぶつかるとなくなってしまいますが、舗装された現代の道を迂回(うかい)すると数十m先の細い尾根道に続きます。
緑の丘と町田のビル街を遠望する景色のよい尾根道を進むと、「市立室内プール」バス停のある太い道に出ます。
古道はここで途切れ、中世までの相模・武蔵両国国境(くにざかい)の鳥居があったという鳥居峠のあたりは、古道そのものが完全に失われていて、たどることはできません。
太いバス道は日大三高に行きますが、太い道を渡り、レストハウス風の建物のうらへまわると、広場の先に再び尾根道が続き、
細い山道を越えると、住宅地の急な階段から、眼の下に小山田の田園が広がり、向かい側の丘、小山田城址(今は緑地公園)を一望できます。
平地の中心部の小さな茂みが嶽(たけ)の内御前神社(小山田神社)で、まわりは鵠沼の蓮池の数倍はありそうな広い蓮田です。
湧き水が豊富なのか清水の流れる小川は鶴見川の源流で、小さな橋を渡ると広いバス道に出ます。
「日大三高入り口」までは6〜7分かかりますが、反対側は1分で「桜橋」のバス停です。
小山田緑地公園の南側入り口はすぐ目の前です。
バスは(町田から)1時間に1本で、緑地を通る古道をさらにたどって唐木田駅へは、もう30分ほどかかります。
小山田緑地は、藤沢からは少し遠いですが、自然とのふれあいにはよい場所です。
バッタ繁殖用の草地とか、トンボのよく出るアサザ池とか、最近はやりのビオトープを、30年も前に見たのを覚えています。
去年、6月に活動した藤沢の新林公園も、近年、自然が質的に充実したのか、一時はなくなった野草が、ふたたび観察しやすい場所に姿を見せるようになりました。
* 奥州古道は、定まった一本の道ではなく、中世までには何度もずれて、変わっています。
奈良時代の古東海道、矢倉沢古往還は、1km以上東側を南北に通じる鎌倉街道(新田義貞の北条攻めの大軍が鎌倉を目指した道)に沿っています。
近世になっても、徳川家康の柩ひつぎは、不測の事態を避け、この古道にほぼ沿った街道を通って駿府久能山から日光に運ばれました。
江戸時代になると東海道の脇道は矢倉沢往還(青山街道、大山街道=現代の国246号にほぼ一致)に落ち着きました。
|