科学少年団の始まった30年ほど前(40歳の人が小学5年生の頃)と今とでは、身のまわりの自然は、かなり変わっています。
都市環境の整備が進んで、それに伴う環境の変化が、自然を遠くへ追いやったともいえます。
以前でしたら、家を出ればすぐ、道ばたにたくさんの雑草や、ときには野草も見ることができましたが、今では、雑草の生えているところも少なくなり、
特に野草――自然に近い状態の植物――を見るためには、それなりの場所まで足を運ばなければならなくなりました。
最近、私は、「小田急沿線自然ふれあい歩道(全70コース)」というのを片っ端から歩いています。
各駅に用意されたイラスト入りの地図に、神社や寺、公園など見所や説明が載せられ、ウォーキングに便利です。
どこの場合も、駅から最初のポイントまで5〜15分は商店街や住宅地を歩くことになります。
駅に近い住宅地は、庭も道路も隙間なく舗装され、雑草の生えた道はなく、庭木や鉢植え、ミニ花壇が見られる程度になり、
自然に生えた植物を見ることが難しくなりました。
広い境内を持つ神社や寺院、各市の看板になるような自然公園まで行けば、ようやくいくらかの目ぼしい植物を見ることができます。
最近の工法では、家をとりまく宅地には、草1本生えないようにすき間なく、完全にシールされるようになったため、道も宅地も、
雑草の生育は不可能になりました。しかし、十数年もたつ間には、地震その他の原因で、わずかの亀裂、細孔が生じ、雨水がしみ込むようになると、
最初に雑草が1本だけ生え、それが成長して、生え際(ギワ)に土埃(ホコリ)がたまると、ほかの雑草も生えて、しばらく除草されないと、
いつの間にか雑草の多い道になります。
駅前の繁華街でも、よく見ると、柱の根元や敷石の端などの、わずかなすき間に生えている植物を発見することができます。
これは、植物にとっては、岩石砂漠と同じ環境状態にあるといえます。一方、少年の森近くでは、昔ながらの雑草が生きていました。
大づかみにいうと、30年前までの雑草の世界は「草原」に譬(タトエ)られ、現在の街中の雑草は「砂漠」さながらの世界を顕(アラ)わしていることを示します。
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