このレポートは、かたつむりNo.314[2008(平成20)06.08]に掲載されました

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小学生には負けられない。目指せ、日本百名山(5)
− 氷河時代を生きたライチョウ −
運営委員 高 木 茂 行
 
北アルプス
■図1 北アルプス
5月ライチョウ
■図2 5月ライチョウ
夏南
■図3 夏南
ライチョウの親子
■図4 ライチョウの親子
ライチョウのひな
■図5 ライチョウのひな
 高校時代の生物の先生は山が好きで、授業の合間に山の話をしてくれた。 可憐に咲く高山植物、夏に残る雪渓、夕焼けに染まる山・・・ なかでも『高山で生活するライチョウを夏休に見た』という話は強く印象に残った。 山の風景への憧れとライチョウ(雷鳥)を見たいという想いが山に登り始めたきっけだった。
 ライチョウはキジの仲間で2万年前の氷河期に大陸から日本に移動してきた1−3)。 氷河時代が終わり、気温の温暖化とともに寒さの残る高山へと移動し、今では2500メール以上の山にのみに生息している。 体の大きさは30〜40cmでその色は周囲に合わせ1年に3回変る。 初夏には全体に黄褐色と灰色のまだら模様で、夏から秋にかけては羽色が灰色みをおび、冬には一部を除いて純白となる。 6月には3〜7個の卵を産み、7月には孵化し、10月に成鳥とほぼ同じ大きさとなる。 名前の由来にはいくつかの説があるが、霧が出て雷が来る前に活躍するため雷鳥となったなどの説がある。
 山に登り始めて4年目の5月連休に会社の同僚と雪の残る北アルプス(飛騨山脈)に入った(図1)。 積雪の残る中アイゼンを付けて山小屋に向かい、1時間ほど歩いてハイマツがむき出した斜面にたどり着いた。 そこで木立の中に白く動く影を見つけた。初めてライチョウを見た瞬間だった(図2)。 5月といえども北アルプスはまだ冬、ライチョウは白い羽に覆われていた。 リュックをそっと降ろしてカメラを出し、夢中でシャッターを切った。 2枚目の写真を撮ろうとした時にはガスが立ちこめ、ライチョウの姿は見えなくなっていた。名前の由来どおりの鳥だった。
 その翌年の8月、南アルプス(赤石山脈)を縦走していた。 長い登りを終えて頂上にたどり着き、ふとかたわらを見ると親子連れのライチョウがいた。 急いでリュックを降ろし、シャッターを切った(図4)。 ライチョウの親子はそのままハイマツの中へと歩いていったが、ズームレンズで拡大し、雛の姿をカメラに納めた(図5)。 親子ともに体の色は黄褐色でキジに似ていた。雛の大きさは親の1/2〜1/3といったところだった。 その後、ライチョウの生息が確認されている山々に幾度となく登ったが、再び見ることはできなかった。
 ライチョウは北アルプスと南アルプスに2000〜3000匹いると言われている。 2007年11月22日の朝日新聞夕刊には、「北岳消えたライチョウ」の記事が掲載されていた4)。 1981年の調査では北岳の近くで33つがいが確認されたが、 2007年10月の調査では一羽も見つけられなかったことが書かれている。 キツネやテンに雛が食べられたことが原因のようだが、温暖化によりサルやシカが高山帯に上がり、 ライチョウの餌となる植物を食べるのも一因と考えられている。
 南アルプスでみたおっとりした姿から、外敵や環境の変化に対して強い鳥とは思えない。 北岳で生息数が激減したように、山はライチョウが住みにくい環境に急変している。 わずか26年で0つがいに激減したのは異常なことだ。 北岳は交通の便が良いうえに山小屋も整備され、夏には多くの登山者が押しかける。 この激減に登山者の増加が関与していることは否定できないだろう。 自分も含めた登山者は山のマナーを守ってライチョウが住める静かな環境を残すことをつねに心がけるべきだ。 山の自然環境が保たれ、雷鳥がいつまでも快適に暮らせることを切望する。(つづく)


参考文献
1)高野伸二:日本の野鳥,山渓カラー名鑑,山と渓谷社,16〜17(1990)
2)高木 清和:山の鳥たち,山渓ネイチュア・ブックス,山と渓谷社,170〜171(1987)
3)世界大百科事典:平凡社,29巻,298〜299(1992)
4)朝日新聞(夕刊),2007年11月2日,15面




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