地球の大きさを計る(2) | ||||||||||
− 1799年 江戸にて − | ||||||||||
運営委員 高 木 茂 行 | ||||||||||
忠敬は佐原の町(現在の茨城県佐原市)で、酒作りを中心に米の水運業など幅広い事業を行っていた。 彼の家はいまでも佐原市に保存されており、当時の面影を残している(図1,2)。 家業の発展に尽くした彼は家業を長男に譲った。 この頃は、日食や月食の日時を予測したり、正しい暦を作ろうとしたりと天文学への関心が高まっていた。 そうした中で地球の大きさについても、天文学を志す人々の議論となっていた。 忠敬は、浅草天文台(図3)に勤める高橋至時(ヨシトキ)に師事して天文学を学ぶことを決め、 50歳で江戸の深川(現在の江戸川区住之江町1丁目)に移り住んだ。 前回説明したように、地球の大きさを知るには、離れた2点間での角度の違い(中心角)と距離とが分かれば良い。 忠敬は、自宅と天文台(図3)で北極星や恒星の見える角度を測り2点間の角度を求め、 歩いた歩数から自宅と天文台までの距離を測った。 当時は幕府の監視も厳しく、紐などで長さを計っていると幕府の役人の尋問を受けることになった。 忠敬は無言で歩数を数えて距離を算出することにした。この時忠敬が計った図が今でも残されている。 図4はそれを今の地図に合せて書いたものである。 点線が忠敬の測定した道で、現在の地下鉄門前仲町駅から浅草駅までの間を歩いて測定している。 忠敬は苦労を重ねて測定した結果を高橋至時に説明した。 二人のやりと取りは、次のような内容だったと想像される5)。 「高橋さま、私の家と天文台との計測が終わりました。天文台までの距離を歩いて計りました。 何度も計りましたらから間違いありません。 一歩を69センチとして、天文台と私の家との南北の距離を計算すると2446.5mです。 2点間の角度差は1分半(90秒)*ですから、地球の大きさは52844kmとなります。 いかがでしょうか」 「なんと」 高橋は腕を組んだまま考え込んでしまった。 「どうでしょうか」 「伊能さん」 高橋が重い口を開いた。 「は、はい」 「伊能さんのことですから測定は正しく行われているでしょう。でも、天文台と家との距離はわずか2キロほどに過ぎません。 これだけの距離で地球の大きさを求めるには誤差が大過ぎます。例えば江戸の大きさを測るとします。 この天文台周りの大きさから推定するより、10分1とか2分1とか測定する距離を大きくするほど正確になります。 だから、もっと長い距離を計る必要があります」 忠敬は肩を落とした。 「そんなにがっかりしないで。伊能さんにやる気があるなら良い方法があります」 「本当ですか?」 「幕府は北海道の測量をしたがっています。北海道にロシアの船が出没し、海岸の警備を固めたいのです。 そこで北海道を測量するという目的で江戸から北海道まで移動し、距離と角度を測るのです」 「北海道の測定を名目に江戸との距離を計るのですか!」 「そうです」 「長い距離を歩きながら毎日計測を続けるのは大変なことですよ」 「もう一つ条件があります。幕府は測定に必要な費用を全額は出してくれないでしょう。 伊能さんが1500万円以上ものお金を負担する必要があります」 「な、なんと」 今度は伊能忠敬が腕を組んで考え込んでしまった。(つづく)
|