このレポートは、かたつむりNo.326[2009(平成21)4.5]に掲載されました

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地球の大きさを計る(3)
−計測に人生をかけた高橋至時と伊能忠敬−
運営委員 高 木 茂 行
 
幕府から下された書状
■図1 幕府から下された書状
幕府から下された書状
■図2 幕府から下された書状
富岡八幡宮
■図3 富岡八幡宮
第一次測量の行程
■図5 第一次測量の行程
 今回のかたつむりは、伊能忠敬(イノウ タダタカ)の続き1−6)。 結局、忠敬は1500万円以上ものお金を持ち出しても、地球の大きさを測るため北海道の地図作りに出発することを決めた。 この時、幕府から下された書状が、茨城県香取市*の伊能忠敬記念館に今も残されている(図1,2)。忠敬は55歳。 江戸時代の平均寿命からすれば、いつ死んでもおかしくない年齢である。
 1800年6月11日の午前5時頃、忠敬たち6名は近くの富岡八幡宮(図3,4)に参拝し、小雨の降る中を北海道に向け出発した。 彼らは多くの苦難を乗り越え、往復3200kmの道のりを180日かけて測量した。 北海道までの道のりを毎日計りながら歩いたのである(図5)。測量にかける執念はすさまじい。 忠敬が作成した地図の精度は高く、師の高橋至時を唸らせただけでなく幕府でも驚きの声があがった。 このため、1801年には東北の東海岸の測量(第2次)、1802年には東北西海岸の測量(第3次)、 1803には東海・北陸の測量(第4次)と日本各地の地図作りに出発し、1816年まで続いた。
 さて、地球の大きさの件である。忠敬も至時(ヨシトキ)も地球の大きさにこだわったが、正確には緯度で1度の距離を知りたかった。 1度の距離が分かれば、360倍することで地球全周の長さを計算できる。忠敬は第1次の測量で1度の長さを28.2里と算出した。 里は日本で使われていた距離の単位で1里は3.927kmで、28.2里は110.74kmとなり、地球全周は39867kmとなる。 苦労して図った値であったが至時には受け入れてもらえなかった。何しろ歩数を数えるという至って簡単な測定方法だ。 何百キロも歩けば誤差も大きいと考えるのが普通である。第2次測量では歩測とともに間縄(ケンナワ)を使い、やはり1度は28.2里となった。 間縄というのは一定長さの縄で、これを伸ばして距離を測った。第3次測量でも忠敬の測定結果は同じ28.2里となった。 それでも測定結果を受け入れない至時に忠敬の怒りは収まらず、第4次の測量に行かないと言い出すほどとなった。
 一方の至時も忠敬の測定結果を正しく判断したいと悩んでいた。そこに嬉しい知らせが飛び込んできた。 オランダから入ってきた当時最先端の天文学書『ラランデル暦書』の翻訳を幕府から頼まれたのである。 しかし、至時はオランダ語があまり得意ではなく、病弱で無理がきかなかった。
富岡八幡宮境内にある忠敬の像
■図4 富岡八幡宮境内にある忠敬の像
身体に良くないことを承知の上で不眠不休で翻訳を続けた。 そして忠敬が第4次測量に出かけている時に、ラランデル暦書に緯度1度の大きさが里の単位で書かれているのを見つけ、 忠敬の測定結果と一致するという見解に至った。
 第4次測量から戻った忠敬は、1803年の10月に高橋至時と面会し、日本で初めて1度の計測ができたことをともに喜んだ。 忠敬が江戸に出てから10年、至時が幕府の天文方になって8年である。二人の喜びはさぞ大きかったに違いない。 その後、忠敬は1816年の第十次測量まで日本全国の計測を続け、1818年5月17日に74歳で他界した。 死の一半年前まで測量を続けた彼は、文字通り測量に自分の人生をささげた。 一方の至時は翻訳作業の負担がたたって体を崩し、1804年2月15日に40歳の若さで他界した。 二人とも自分の命を削って地球の大きさを測ったことになる。
 1回目の紹介したエラストテネスは、井戸にまっすぐ射す太陽を文献で知り、天才的なひらめきで地球の大きさを求めた。 これに対して、忠敬と至時は自らの命を削りながら地球の大きさを測定した。団員の皆さんは科学者としての魅力をどちらに感じるだろうか? さて、これまでの先人の業績を知ったら次は自分達で試す番だ。5月活動のかたつむりでそれを紹介する。
(つづく)

*2006 年に佐原市と香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して、香取市が誕生しました。現在では伊能忠敬の旧家は香取市佐原町になります。 前回のかたつむりは間違っていましたので訂正します。


参考文献
1) ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/  伊能忠敬、香取市、高橋至時の項目
2)渡辺一郎:伊能忠敬の歩いた日本,筑摩書房,14〜34(1996)
3)渡辺一郎:伊能忠敬の地図を読む,河出書房新社,6〜11,44〜52(2000)
4)歴史の歩き方:伊能忠敬が見た佐原を歩く  http://rekiaru.onishi-lab.jp/034.html
5)東京地学協会:伊能図にまなぶ,朝倉書店,20〜22(1998)
6)井上ひさし:四千万歩の男,講談社,11〜50(2002)




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