このレポートは、かたつむりNo.452[2018(平成30)03.18(Sun.)]に掲載されました

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発電所のあれこれ(3) ―東京▶銀座で初めての電灯―
運営委員 小 野 哲 夫
 
この3月25日は電気記念日です。どうして記念日になったのでしょう。
この日は、140年前の1878年(明治11年)に日本で初めて電灯の明かりを灯した(ともした)日です。
それで、記念日となりました。でも、使われた電気は発電されたものではなく、グローブ電池注)50個を使って、 アーク灯を大学のホールで点灯したというのです。
 では、発電機で発電されたのは何時だったのでしょう。
ここに一枚の錦絵があります。この絵は今の時代で言えば写真週刊誌と言ってよいでしょう。 まだ簡単に写真が写されない時代、世の中の様子を描いて版画にして売られたものです。

この絵は、東京銀座通りで電灯が初めて点けられた時の様子を伝えています。 左上にあるアーク灯が移動式の発電機によって明るく照らされ、この電気の明かりを見るために多くの人が集まって来ています。
この電灯が点けられたのは135年ほど前の1882年(明治15年)11月のことで、初めて電池によって電灯がつけられてから4 年後でした。 この時代、明かりと言えばランプなどで油を燃やすことやロウソクが普通で、街灯としてはガスを燃やすガス灯が都会の一部に設けられるようになったころでした。 それゆえ電灯は珍しく、多くの見物人が集まっているのです。また、絵の真ん中にはレールと客車が見えます。 この時代にはまだ路面電車はありませんでしたので、馬による鉄道馬車ではないかと思われます。
点けられたアーク灯というのは、雷が落ちるときに光るイナズマと同じように空気中を電気が流れて光を出しています。 これは静電気が起きたとき金属などに触れてパチっと火花が飛ぶ時と同じです。 しかし、この火花もイナズマも電気が一度流れて光ってしまえば終わりですが、発電機につながれたアーク灯では電気が続けて流れてきますから光り続けます。
 ここで点けられたアーク灯は二千燭光と言われていますので、およそ2KWの電気が必要です。 2KWの電気は、今の時代では例えば炊飯器やレンジ(5・600W〜1KW)の2〜3倍とあまり大きくありません。 それでも、2KWの電気を得る大きさの発電機は手廻し発電機とは違って大きく、その発電機を回すための動力が必要となります。 この絵には発電機などは描かれていませんが、自動車の無いこの時代どのようにして持ってきたのでしょうか?
          
 そのヒントとなる写真が、80年前1938年(昭和13年)の本「日本蒸気工業発達史」に載せられています。 写真は不鮮明ですが、そこには「移動式アーク・ダイナモによる点灯」として明治25年陸軍大演習のとき宇都宮駅前でアーク灯を点灯と、書き込みがあります。 明治25年(1892年)とは銀座で初めて電灯が点けられてから10 年後のことですが、 このような移動式の発電機で点灯のデモンストレーションが全国的には10年たっても行われていたのでしょう。  写真の手前には鉄道のレールが写っていて、その先の帽子をかぶって左を向いている人物の奥に、荷馬車のものと思われる車輪が見えます。 また、中央にはアーク灯と共に煙突らしきものが立ち上がっています。 これから、このアーク灯を点灯する電気は、火を焚いて蒸気を作って蒸気機関で回転力を得て、その回転力で発電機を回して作られたことが想像できます。 したがって、火を焚いて蒸気を作るカマド、蒸気機関、さらに発電機と大荷物となりますので、荷馬車に積まれて移動していたのでしょう。

 今回、電池によって電灯が初めて灯され日が電気記念日になったことや、移動式の発電機によって電灯点灯のデモンストレーションが行われたお話をしました。
 発電所で作られた電気で電灯が灯るようになったのは、銀座での点灯デモンストレーションから約5 年後の1887年(明治20年)11月でした。 その発電所は東京都心の街中に作られたことを、次にはお話ししましょう。

注)グローブ電池;電解液に希硫酸と濃硝酸を使う湿式電池で起電力は約1.9V あり、電信などの電源に使われた。しかし、有毒ガスが発生することなどから、ほかの電池に置き換えられた。

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