このレポートは、かたつむりNo.457[2018(平成30)07.01(Sun.)]に掲載されました

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発電所の話あれこれ(8) −−神奈川県初の発電所−−
運営委員 小 野 哲 夫
 
 これまで日本で最初に電燈を点けたのは電池で行ったことや、電燈用の電気を送る発電所が電燈局という名前であったこと、 少し大きな発電所ができたことなどの話をしてきましたが、いずれも東京の話でした。 神奈川県では、いつ発電所が出来て電燈が点けられるようになったのでしょう。

 電燈が点けられるようになった明治時代の初めのころは、アメリカやヨーロッパの文化を早く受け入れようとしていました。 このため、江戸時代の鎖国も解かれて多くの外国人が日本に来ましたが、その外国人たちが住める場所は限られていました。 その場所は居留地(きょりゅうち)と言われ、神戸や長崎などと共に横浜にもありました。
 その横浜の居留地に電燈用の電気を送るために出来た発電所が、神奈川県初の発電所です。 横浜居留地は現在の中華街を中心とした地域で、西側が横浜スタジアムのある横浜公園に接していました。 発電所は公園のさらに西側の常盤町(ときわ町)に、横浜共同電燈会社が1890年(明治23年)10月に作りました。 常盤町に作ったので「常盤町火力発電所」と呼ばれ、 日本初の発電所である東京電燈会社の第二電燈局を建設した1887年(明治20年)11月から約3年後のことでした。 建設工事したのは東京電燈会社で、同社の第四電燈局と同じ時期の建設でした。
 この発電所のあったところは、今は東京電力の関内変電所となっていてその一角には記念碑(写真)が設けられています。 碑には「神奈川県電気発祥の地」として、「明治23年10月(1890年)横浜共同電燈会社が、この地に火力発電所を建設し、 神奈川県で初めて電力供給を開始いたしました。当時の発電所は出力100キロワットの石炭火力で、お客様は約700軒でした。」 と刻まれています。

 発電機などの設備は、東京電燈・第四電燈局のものと同じで、直流低圧発電機(記念碑の左側にレリーフがあります)でした。 しかしながら、居留地からの利用申し込みが順調に増えて多くの電気が必要になるとともに、 配電線の距離が長くなってくると直流低圧配電では難しいことから、 開業した10月から2カ月後の12月には交流発電機を新たに設置して交流高圧配電を始めました。 交流発電機の導入は日本で2番目、関東地方では初めてでした。これによって変圧器(トランス)で電圧変更ができることから、 同じ量の電気を送るのに電圧を高くして電流を小さくして長い距離の配電もできるようになるのです。 なぜならば、電流を小さくすると電気を送る途中で熱となってしまう無駄な電気(送電ロス)が減るからです。 (高圧配電といっても、直流のものより高いというだけではでありましたが・・・)
この発電所から神奈川の電気は始まり、また交流高圧配電の道が開かれたのです。

 神奈川県初の発電所、横浜に出来た発電所は関東地方では初となる交流発電機の導入を行なったことをお話しましたが、 神奈川にはもう一つ誇れる発電所がありました。それは箱根湯本に作られた水力発電所ですが、そのお話は次回にしましょう。


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