このレポートは、かたつむりNo.462[2018(平成30)12.09(Sun.)]に掲載されました

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発電所の話あれこれ(9) ――日本の最初の水力発電所と箱根湯本の発電所――
運営委員 小 野 哲 夫
 
 これまでお話しした多くは火力発電所でした。 電気が使われるようになった初めのころは電気を遠くまで送る技術がなく、街の中に発電所を作っていました。 しかし、東京や横浜など多くの人が集まる町なかには川があっても流れが緩やかで水車を回して発電することは難しいため、 すでにお話した水を沸かして蒸気を作って発電機を回す火力発電であったのでその話が多くなりました。
 それでは、日本で初めての水力発電所はどこで作られたのでしょう? それは街中ではなく、工場でした。 明治の初めにはヨーロッパから糸や布を作る機械が持ち込まれましたが、 機械を動かす動力は水力原動機といわれる水車のまわる力によっていました。 この回転力で直接機械を回していたのですが、その一部で発電機を回して発電して工場内の電灯に使用するようになったのが水力発電の始まりです。 このような水力発電を初めて行ったのは1888年(明治21年)7月の宮城紡績(宮城県;出力5kw)であり、 続いて1890年(明治23年)4月には下野(しもつけ)麻紡織(栃木県;出力116kw)が同じように水力発電に変えました。

宮城紡績の発電所は、三居沢(さんきょざわ)発電所
(出力1000KW)として現在も使用されています
(Wikipediaにより)
 
間藤水力発電所跡地の説明看板
(Yahoo画像より)

 これらの発電所に続いて、1890年(明治23年)12月には本格的な水力発電所が足尾銅山に建設されました。 鉱山の排水ポンプや鉱石などを運び出す巻揚機(まきあげき)の動力として使われている蒸気機関から電動機械に変えようとするもので、 初めから水力発電所建設として計画されて間藤水力発電所が作られました。渡良瀬川の上流から2,830mの水路で水を引き込み、 落差(高低差)32mで水車を回して300kwの発電を行うという上記二つより規模の大きなものでした。
 日本で初めの水力発電所は、このようにすぐ近くの工場などで使われるところで作られました。 一方で、電気を使う人が多く住んでいる街中では人が住んでいて水路が作れないことなどから、 お話したように火力発電所が作られていたのです。
 しかしながら、足尾銅山に水力発電所が作られた翌年1891年(明治24年)には、京都市内に電灯用の電気を送る本格的な水力発電所が作られました。 この発電所は「琵琶湖疎水」といわれる運河の建設と合わせて作られたもので「蹴上(けあげ)発電所」と呼ばれ、 日本初の事業用水力発電所(電気を売るための発電所)でした。 初めは80kw2台の発電機で開業しましたが、順に増設して1895年(明治28月年)には路面電車を走らせています。 (「琵琶湖疎水と蹴上発電所」の話は別の機会にお話します。)
 日本最初の紡績工場や鉱山の発電所、さらに初の事業用といわれる蹴上発電所も、 設置された水車も発電機も全て外国製で輸入したものでしたが、 初めて電灯が灯され電燈局が計画されたころ(1880年前後)から国内で水車や発電機、さらには電球を作ろうとする動きが生じていました。
 その成果がこの神奈川県で示されました。蹴上発電所が作られた翌年の1892年(明治25年)、 箱根湯本の須雲川に建設された「湯本湯端(ゆば)発電所」は国内の別々の会社で作られた水車と発電機によるものでした。 水車を回す水の落差は7.4m、発電機の出力は25kwと小さく、湯本の温泉宿などの明かり約200灯を点ける程度の発電所でしたが、 日本初の国産の水車・発電機による水力発電所という名誉を受けました。 これと共に、京都の発電所に続き2番目で関東地方では1番目の事業用水力発電所としても知られていました。 しかし、発電出力が25kwと小さかったために、上流に新たな発電所ができると13年後の1905年(明治38年)には廃止されました。
 湯本湯端発電所の立てられていた場所は、須雲川が早川に合流するところに近い弥栄橋の上流左岸で、今では旅館になっています。 記念碑と説明板が立てられていましたが、今では記念碑はなく、説明板だけがあるということです。
(「発祥地のコレクション」( https://840.gnpp.jp/nippon-suiryokuhatsuden/ )による。下の写真も)

記念碑(今は撤去されている)
 
説明板

 神奈川県に日本で2番目の水力発電所が、それも日本で初めての国産の発電機で作られたことを話しましたが、ここ藤沢にも発電所がありました。 それは江ノ電が作られたとき電車を動かすためのものでしたが、家庭にも送られて電灯を灯しました。 残念ながら今回お話した水力発電所ではなく、これまでお話した石炭を燃やして蒸気を作って発電機を回す火力発電所でした。

 このお話は次回しますが、先ずはクイズです。 (正解者には、1月活動でお年玉を用意します)

藤沢にあった発電所に関するクイズ((1)、(2)は四択です)

(1)火力発電所はどこに作られたのでしょう?
@藤沢駅の近く
A石上駅と柳小路駅の間
B鵠沼駅に近く
C江の島の海岸近く

(2)燃料の石炭は何で運ばれたのでしょう?
@東海道線の貨車で
A馬車で
B海上から境川を船で
C海上を船で

(3)その理由は? 考えてみましょう!


答えは、解答用紙に記入の上、1月活動の時に提出してください。(PDF:165KB)


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