このレポートは、かたつむりNo.460[2018(平成30)10.14(Sun.)]に掲載されました

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こわい話を科学しない 〜月見団子の婆
運営委員 山田 佳子
 
 今年の中秋の名月は9月24日でした。みなさんはお月見をしましたか?  私はススキとウサギさんのマスコットを飾り、おだんごもコンビニで買ってきてお供えして、とてもきれいな丸い月を見ることができました。 今回のお話は、お月見するときにお供えするおだんごの話です。明治時代の新聞に書かれていた、江戸時代のこわいの話です。
 その前に、少し暦(こよみ)のお話をします。江戸時代の日本では太陰暦(たいいんれき)を使っていました。 太陰は月の別名で、太陰暦は月の満ち欠けを基準に作った暦です。空に月が見えない新月が1日で、月の最終日が晦日(みそか)と言われます。 最終日が29日(小の月)の時と30日(大の月)の時があり、小の月、大の月は年によって変わります。 1年が1月から12月まであるのは今と変わりませんが、そうすると、1年が354日になり、毎年季節が変わるようになってしまいます。 そのずれをなくすために、19年に7回、閏月(うるうづき)を加えます。この閏月も何月になるか決まっていません。 現在みなさんが使っているグレゴリオ暦(太陽歴)と比べるとわかりにくいかもしれませんが、農作業をするのに便利な暦で、明治のはじめ頃まで使われていました。
 秋になると、穂が実ってお米が採れます。江戸時代の人たちは「稲が実りました、ありがとうございます」というお祭りのようなものを「中秋の名月」に行っていました。 太陰暦では7月〜9月が秋になり、中秋は秋の真ん中の8月のことで、その満月になる15日。これが十五夜(じゅうごや)です。 グレゴリオ暦の9月〜10月のはじめになります。 そして、十五夜だけではなく、9月13日に行われていた十三夜、10月10日の十日夜(とうかんや)もあり、この三つの月見ができると縁起がいいとされていたそうです。

 そんなお月見が盛んにおこなわれていた江戸時代のことです。現在の千代田区に住んでいた旗本の城さんの家では、「だんごを作ること」を固く禁じていました。 千代田区ということは、将軍さまが住んでいた江戸城の近くに住んでいたということです。 旗本は将軍様の直属の家臣のことで、将軍様に会うことができる、とにかくとっても偉いお家です。

 城さんの家でだんご作りを禁止する前は、十五夜と十三夜には盛大にだんごを作ってお月さまにお供えしていました。 けれどあるとき、十五夜のだんごを作っていると、60歳くらいのおばあさんがお台所でせっせせっせとだんごを作っていました。 女中さんたちは奉公人さんが頼んで連れてきた人だろうと思い、奉公人さんたちは女中さんが頼んで手伝ってもらっているのだと思いました。 作業が終わり、女中さんと奉公人さんたちが話していると、誰も知らないおばあさんであることがわかりました。 でも、おばあさんはすでにいなくなっています。これと言って不審な様子もなかったので、そのままにしておいたそうです。
 ところがひと月後の十三夜の日、いつの間にかおばあさんがやってきて、せっせせっせとまただんごを作っていました。 奉公人さんは「おい、ばあさん、お前は誰に頼まれてどこから来たのだ」と聞きました。おばあさんは返事もせずにだんごを丸めています。 間近に寄って大声で聞いても平然として手を止めません。とうとう奉公人さんは、おばあさんを家の外に追い出します。 そして、やれやれと戻ってみると、おばあさんはさっきと同じように台所でだんごを丸めていました。 もしかして、別のおばあさんかもしれないと思って顔を覗き込むと、おばあさんはニッコリ笑って長い舌を出しました。 奉公人さんは「タヌキかキツネが化けて出た!」と驚いて若いお侍さんたちを呼んできました。 みんなでおばあさんを門の外まで追い出し、しっかり戸締りをして戻ってくると、おばあさんは台所でおだんごを作っています。 「奉公人が言ったことは本当だった」と、びっくりした若いお侍さんたちは、おばあさんの腕を強引に引っ張って追い出そうとしました。 すると、おばあさんの腕は水飴のように伸びました。若いお侍さんたちはその腕が5メートルくらいになってもさらに引きました。 20メートルにも30メートルにも伸び、まだまだ伸びそうです。 腕がキセル(昔のたばこ)のように細くなり、若いお侍さんたちがこわくなって手を放すと、まるでゴム紐のように腕は元に戻りました。
 あまりの出来事に、だんごづくりはすぐに中止になりました。すると、おばあさんはいなくなりました。しばらくして、試しにだんごをつくりました。 すると、おばあさんはまた現れてだんごをつくります。おばあさんは何か悪いことをするわけではありません。 それでも気味が悪いので、城さんの家ではいろいろなおはらいをしました。でも、効き目はありません。 だんごをつくりだすと、どこからともなくおばあさんが現れてせっせせっせとだんごをつくります。 そして、とうとう城さんの家では「絶対にだんごをつくってはいけない」と言い伝えるようになりました。
 明治時代の新聞には、この家訓を信じなかった子孫がだんごをつくったとありました。 すると、おばあさんが現れて言い伝えが正しかったことが証明されたそうです。ただ、どうしておばあさんがだんごをつくるのかは、わからないようです。
 平成の現在も、城さんの子孫がいらっしゃって、今も「だんごをつくらない」という家訓を守っているのでしょうか?

参考にしたHP
  陰暦における月の異称 夏貸文庫まめ辞典
  2018年の十五夜はいつ? 四季の美



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