このレポートは、かたつむりNo.404[2014(平成26)10.26]に掲載されました

戻る

青色LEDでノーベル賞をもらった赤碕先生にはダマされた。
−「青色LEDはできない」で始まった講義はなんだったのか?−
運営委員 高 木 茂 行
 
名城大学 赤碕勇 教授
(中日新聞ホームページ http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014100802000059.html)
 2014年10月7日、ノーベル賞物理学省が発表されました。 青色LEDの発明で日本の科学者3人が受賞し、テレビ、新聞などのマスコミを賑わしました。 受賞したのは、名城大学の赤崎勇教授、名古屋大学の天野浩教授、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授でした。 高木運営委員は、その中の一人の先生を見て驚きました。な、なんと、赤碕先生ではないか!
 遡ること約30年前。高木運営委員は、うら若き大学院生でした。大学での講義を素直に受け入れていました。 大学院の選択科目の中に赤碕先生の講義があり、「名城大学の先生で、この分野ではきわめて著名な方です。 名古屋大学がお願いし、わざわざ来ていただいています。講義を聞くように。」とガイダンスがありました。 勧められるままに、赤碕先生の講義を受講しました。
 赤碕先生の1回目の講義は、「赤や黄色のLEDは出来ていますが、青いLEDはできないでしょう」で始まりました。 この言葉は、今でも鮮明に覚えています。その先生が、青色LEDでノーベル省を受賞されたことは驚きでした。 1回目の講義では、その言葉にダマされたことになります。
 実は、青色LEDが学会発表され始めた頃から、高木運営委員も興味を持ち、研究の状況を調べていました。 それをまとめて書いたのが、かたつむりNo272号(2005年6月)「20XX年町から電球が消える日(3)」です。 青色LEDがどうやって開発されたかを詳しく書いています。 この文章の終わりに再度掲載しますので、興味のある団員は読んでみてください。
 ここでは、手短に知りたいという人のために、簡単に説明します。 ガリウム(Ga)と窒素(N)の化合物(GaN)を使うと、青色LEDができることは理論的に分かっていました。 問題は、GaとNが交互に規則正しく配置された結晶を、どうやって作るかでした。 こうした理論を展開し、試行錯誤の結果、青色LEDができることを原理的に示したのが、赤碕先生と天野先生です。
 ただ、実用化には大きな問題がありました。LEDとして使える大きさのGaNの膜を作ることができなかったのです。 当時、サファイア(宝石のサファイアと同じサファイア)基板の上にGaNを作る試みが行われていましが、 GaNは部分的に集まり、皿の上にポツポツとゴマを巻いたような状態になっていました。 皿に広げたサランラップのような均一な膜を作ることはできなかったのです。 中村先生は、サファイアとGaNの間に緩衝層という仲介層を加えて基板を加熱することで、 安定で良質な膜を作ることに成功しました。(かたつむりNo272では、これを図入りで説明しています)

 さて、高木運営委員が赤碕先生の講義を受けたのは、先生が青色LEDの可能性について考えられ、 試行錯誤の実験を始められた頃だったのでしょう。 日々、考えられていたため、「青色LEDはできない」という講義冒頭の言葉になったと思います。 赤碕先生、天野先生、中村先生は数々の失敗と苦難を乗り越え、青色LEDの実用化に大きく貢献されました。 偉大な日本の科学者に拍手喝采!!







戻る